油断という言葉の語源を解説しています。

「油断して、強豪が無名チームに負けた」
「簡単な試験だと油断していたら、不合格だった」

この「油断」という言葉は、普段の会話の中でもよく耳にしますね。
「油断」とは、物事を軽視したり見くびったりして、必要な注意や努力を怠ることを意味します。

「油を断つ」と書くこの言葉。文字だけを見ると、言葉の意味と結びつかないような気もしてきますが、その由来は仏教にあります。

今回は「油断」という言葉の語源をわかりやすく解説していきます。

「油断」の語源は?

比叡山延暦寺 根本中堂

比叡山延暦寺の根本中堂。
(取材時は、10年間の大改修工事中でした。2026年公開予定)

「油断」という言葉の語源は、一説には比叡山延暦寺にあると言われています。

こちらの写真は延暦寺の中心となる本堂。根本中堂と呼ばれている国宝です。

このお堂の内陣には、小さな灯火が供えられています。驚くべきことに、なんとこの火は1200年もの間、一度も消えることなく燃え続けているそうです。とても壮大な話ですよね。

その小さな灯火は、どうやってそれほど気の遠くなるような長い年月の間、消えることなく燃え続けているのでしょうか。それは、決して何か不思議な力によるものなどではなく、毎日絶やさず人の手によって世話をされているからに他なりません。

仏前にお供えされる灯りは、現代ではロウソク、あるいはLEDの電飾が使われる場合もあります。しかし、延暦寺の灯火は菜種油に浸された芯が燃える原始的な作り。僧侶の方が毎日2回、油を注ぎ足しているそうです。

さて、勘の鋭い方はすでにお気づきかもしれません。
ここでもし、僧侶の方がうっかり油を注ぎ忘れてしまったとしたらどうなるでしょう?

「1日くらい忘れても大丈夫」と注意を怠ったが最後、その灯火はいとも簡単に消えてしまいます。「油を断つ」と火が消えてしまう。このことが「油断」の語源となり、また、決して気を抜かないよう戒めるために「油断大敵」という言葉がここ比叡山延暦寺で生まれたとされています。

比叡山延暦寺と言えば、織田信長の焼き討ちの逸話で有名ですね。その時も、火は別のお寺に分灯して守られ、現代まで消えずに受け継がれているそうです。そのため、この灯火は「不滅の法灯」「消えずの法灯」とも呼ばれています。

心の中の灯火を絶やさないように

「油断」という気持ちは、きっと誰しもが心に抱くものではないでしょうか。冒頭の例文は「対戦相手」や「試験」という「立ち向かう対象」を軽んじて捉える表現ですが、実はもっと身近な所に立ち向かうべき対象は存在します。例えば、自分自身との約束です。

「ウォーキングをする」「早起きをして勉強する」というような自己研鑽のための習慣。あるいは「『ありがとう』をきちんと伝える」「『楽しい』『幸せ』と口に出して言う」など、人間関係や自分の内面にフォーカスした習慣。この一つ一つの行動は、燭台に油を注ぐようにとても簡単な作業です。しかし簡単なことだからこそ、毎日続けることはとても大変なこと。どんな人の心の中にも「1日くらい大丈夫だろう」「今日は疲れているから」という油断の気持ちが潜んでいるからです。

油断することで簡単に消えてしまう灯火ですが、裏を返せば「毎日油を注ぐ」という単調な作業を繰り返すことで、不滅の灯火ともなれるとも言えます。「凡事徹底」「習慣は人格となる」「ルーティンが人を作る」など、習慣についての格言は数多く存在しますが、どれも、油断して火を絶やしそうになってしまう自分への戒めと、火を灯し続けることの偉大さを表しています。そして、そのような努力を最も近くで見ている存在、それが自分自身です。自分との約束を必ず守る、その事実がまた、灯火を輝かせる光になっていくのかもしれません。

本日も、心の火を絶やさないよう、燭台に油を注ぐよう丁寧に暮らしていきたいものです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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ライター:間宮まさかず

京都市在住。妻、6歳の娘、3歳の息子と暮らしています。
子育てにまつわるエピソードや、暮らしの中で大切にしたい想いなどを綴っていきたいと思っています。