茶堂 不思議

「不思議」という言葉の意味を知っていますか?

日常生活の中でもよく口にするこの「不思議」という言葉。
実は仏教の言葉が語源になっているとご存知の方は少ないかもしれません。

今日はその意味を解説しながら、人との縁が作り出す「不思議」について思いを馳せてみたいなと思います。

「不思議」の語源は?


「不思議」という言葉は、例えば「世界の七不思議」とか「不思議な現象」「不思議な話」などと使われるとき、どこか謎に包まれたもの、奇妙なもの、というニュアンスが含まれていることが多いように思います。

実はこの言葉の語源は仏教用語「不可思議」の略です。

「思議」とは、「思うこと、議論すること」。不可思議とは、「思議」できない、つまり「考えを巡らせることができない」という意味になります。

もともとは、仏教の教えを伝える書物の中で、言い表すことのできない仏さまの力を讃える言葉としてしばしば使われました。現代ではそれが転じて、常識的な理解が及ばないこと、すなわち「妙な」「奇怪な」というような意味で使われるようになったということです。

つまり「不思議」とは本来、自分の理解の及ばない、どうにも説明しようのない事象に対する感謝の気持ちが込められた言葉なんですね。

善了寺参拝で改めて感じた「ご縁の不思議」


さて、話は少し変わります。

先日、私は横浜市戸塚区にある善了寺を参拝させて頂きました。あえて説明する必要は無いかもしれませんが、善了寺とは、こちらのサイト「茶堂」を運営しているお寺です。

各地から集まった友人たちと共に会食を楽しんだその日、ご住職自ら本堂を案内してくださいました。

私がこれまで抱いていたお寺のイメージを覆す美しい本堂。自然のぬくもりを感じられる空間は、本尊を安置する内陣こそあれ、まるで教会やカフェを思わせるような明るい解放感がありました。

善了寺 本堂

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そこで私たちは、ご住職からこの「不思議」という言葉の由来についてお話を聞かせて頂いたのです。ご住職のお話は、このように締めくくられます。

今日ここに集まった皆さんとの不思議なご縁に、心から感謝したいと思います。

私はこの「不思議なご縁」という言葉がとても強く印象に残ったのでした。

「不思議なご縁」について考えてみる


思えば人とのつながりはまさに不思議なもので、友人や同僚・上司、家族や親子の関係まで、自分で全てを選択し、思い通りに設計・構築してきたということは決してありえません。

だからこそ、時に悩みの種にもなる人間関係。しかしそれ以上に、人から受け取った良い影響にも目を向ける事が大切なのかなと思っています。

記憶の中にある誰かの笑顔が、心を晴れやかにすることもあります。
人から頂いた叱咤激励の言葉が、心を支えることもあります。
誰かの背中を見て、心を奮い立たせることもあります。

心が希望に向かうとき、その糸をたどった先には必ず誰かの存在がある。ご住職のお話を聞いて、改めてそのことを思い出すことができました。

と同時に、自ら意図した訳でもないのにそのご縁に支えられていること自体が、なんだか有り難いことのようにも思えてきます。なぜ大切にしたいと思えるご縁が目の前にあるのか、その理由をいくら考えても、答えにたどり着くことが私にはできなかったからです。

まさに「不思議」と表現することが、正しい答えのような気がしました。

 

「おかげ様」「ありがとう」と言える心のゆとりを


言葉でうまく説明することのできない有り難いご縁、人とのつながりが生み出す「不思議」について、お話させて頂きました。

今日も、目の前にあるご縁、新しく訪れるかもしれないご縁の「不思議」に感謝しながら、「おかげ様」と言える穏やかさ、心のゆとりを大切に過ごしたいと思います。

ここまで読んで頂いたあなたとのご縁に感謝いたします。

ありがとうございました。

 

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善了寺 本堂 外観

思聞堂 外観

善了寺 本堂 内陣

善了寺 住職

善了寺 坊守さん

善了寺 紫陽花

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ライター:間宮まさかず

京都市在住。妻、6歳の娘、3歳の息子と暮らしています。

子育てにまつわるエピソードや、暮らしの中で大切にしたい想いなどを綴っていきたいと思っています。