平等院鳳凰堂

京都の名所をご紹介する「京都ぶらり散歩」シリーズ。
今回の舞台は京都府宇治市にある「平等院」です。

ところで、2023年は浄土真宗にとって大きな記念の年であることをご存じですか?

今年は、浄土真宗を開いた親鸞聖人が生まれて850年、そして浄土真宗が開かれて800年の節目の年なんです!ちなみに平等院は、親鸞聖人が生まれる約120年前に創建されました。

さて今回は、平等院の創建当時、そして親鸞聖人が生きた時代の状況に思いを馳せた時、

「平等院が立てられた時代や浄土真宗が始まった時代と、現代って、少し似ているのかも」

と考えたことを綴ってみたいなと思います。

平等院鳳凰堂とは?10円硬貨にも描かれる美しい姿

平等院は、平安時代後期に当たる1052年に、いずれの宗派にも属さない単立寺院として創建されました。

平等院で最も有名なのは、10円玉にもデザインされている「鳳凰堂」

翼を大きく広げたようにも見えるその御堂の姿と、屋根に二羽の鳳凰が据えられていることから、その名前がつけられました。まるで極楽の宝池に浮かんでいるかのような美しい佇まいに、いつ訪れても多くの観光客がカメラを向けています。

平等院があるこの宇治という場所は、京都市の南に位置します。平安時代には貴族の別荘が多く営まれ、「源氏物語」の舞台としても広く知られる風光明媚な場所です。

平等院も元々は貴族の別荘でした。平安時代を代表する政治家・藤原道長の別荘を、彼の死後、息子の頼通が寺院に改めたのです。

頼通はなぜ別荘を寺院に改めたのでしょうか?

それは、当時の「末法思想」という考え方に強く影響を受けていました。

末法思想とは?平等院と親鸞聖人が見つめてきた時代

当時世間では、「釈迦が他界(仏教では入滅と言います)してから2000年経つと仏教の教えが衰え、末法の世が訪れる」という「末法思想」が一般的に受け入れられていました。そして、まさに平等院が創建された1052年は「末法の始まりの年」だったのです。

この考え方を頼通も強く信じていたため、「生きとし生けるもの全てを平等に救い、極楽浄土へ導いて欲しい」と、いわゆる浄土信仰を強く願う場所として「平等院」を創建したと言われています。

時は平安後期。長く続いた貴族中心の社会が、武家中心の社会に大きく変わろうとした時代の転換点でもあります。

さらに「末法元年」と言われた1052年以降、飢饉・火災・大地震、そして鎌倉幕府成立に至るまでの様々な争乱などが、現実社会に多くの混乱を生じさせました。

そして親鸞聖人が生まれたのは1173年。まさにこの混乱の時代の真っただ中です。

恐らく彼が見てきたのは、構造的な時代の変化だけでなく、自然災害や争乱に巻き込まれ困窮する人々の姿。そんな人々に等しく寄り添い、”心の安心”を社会に提供したかったのかなと勝手ながら想像しています。

平等院鳳凰堂

平等院創建当時と今を重ねて

平等院が創建されて約1000年、親鸞聖人が浄土真宗を開いて800年経った今。

冒頭で、「当時と現代は少し似てるのかも?」と書きました。さすがに現代を「世も末」と荒々しく表現するのはどうかと思いますが、ここ数年の社会は、大きなターニングポイントの最中にいるような気もいたします。

世界を覆う感染症や東欧での戦争、それらに端を発する社会の変化、加速するデジタル革命。

そんなめまぐるしい情勢の中、変化に対応するスピード感が問われる一方で、どこか、暮らしの丁寧さや心の穏やかさを求める人も増えているような、そんな気もいたします。

もし親鸞聖人が現代に生きていたらどんな言葉を語るのかな、と当時と現代を重ねながら、ふと考えてしまいました。

変わっていくものと変わらないもの

平等院にある数々の建築物は、約1000年の歴史の中で何度も戦争や火災の被害を受けています。しかし、鳳凰堂だけは唯一、奇跡的に焼失を免れました。丁寧に人の手を入れ、補修工事を行いながら、現在まで創建当時の荘厳な姿を残しているのです。

1000年も経てばあらゆるものが姿かたちを変えますが、こうして変わらないものもある。

平等院・鳳凰堂を静かに眺めながら、創建当時の願いが今も大切に守られているような、なんだか有り難い気持ちになったのでした。

京都にお越しの際はぜひ足を運んでみてくださいね。

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世界遺産 平等院

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ライター:間宮まさかず

京都市在住のWebライター。
子育てにまつわるエピソードや、京都の町の魅力などを綴っていきたいと思っています。