おかげさまで、5月8日(日)に新しい本堂に御本尊 阿弥陀如来様を聞思堂から、2年ぶりにお移り頂くことができました。ありがとうございました。思えば、5年前東日本大震災の年に、聞思堂の建築が始まり、本堂が落成した今年、熊本地震が起きました。本堂の建築資材は宮城県栗駒山の杉を使わせていただき、少しでも、被災された方々の力になれればと、事業がすすめられました。熊本地震に際しても、役員会の皆さまにご相談して、急遽祝賀会を取りやめ、その予算を本山を通じて義援金として送らせていただきました。

善了寺の本堂は、1866年に矢部町の大火によって、七間四面の本堂が焼失したと記録されています。薩長同盟が成立する頃のことです。その後、先人方によって、何度も再建に取り組まれましたが、激動の時代、なかなかかなうことができませんでした。関東大震災でも、仮本堂が半壊、苦難の歴史の中で、1956年に、私の祖父である成田恵門住職の時に、悲願の本堂再建をなしとげ、今の本堂の原型が姿をあらわします。

当時は、本堂に映写室を備え、御本尊を御安置する内陣に暗幕を下げ様々な、地域に開かれたイベントを行っていたそうです。仏教をよりどころとした、祖父の実践の願いを受け、1866年から150年の時を超えて、今の本堂・客殿・庫裏の建築があります。

この10年で戸塚も大きく変わりました。時代の激動のありさまは、まさに幕末と似ているのかもしれません。丁度、前の本堂が建てられた1956年から60年目の年に、現代における仏教建築のあり方を、皆さんとともに表現することができたのも、これからの時代への大きなメッセージなのだと感じています。

是非、お参りください。お待ちしております。

※写真はお移り頂く前の、善了寺の御本尊様です。もうお参りすることのかなわないお姿ですが、尊いお姿に思わず写真を頂きました。寺史によると蓮如上人作としてお伝え頂いている御本尊様です。(約30年前に御修復されています。)何百年もの間おたち続けです。その歴史の重みを幾ばくか感じながらお移り頂きました。