戸塚・善了寺では365日、「朝のおつとめ」を行なっています。
その際の住職のお話を、ご紹介します。
5月7日(月)のお話です。

7日は、法然上人のご命日です。先人の方々のご恩をしのばせていただくのも、私どもの自分の都合を中心としてご恩に感謝すると言うことになりますと、都合の良いときは「ありがとう」ですが、都合の悪い時は感謝しないという事になります。

ここに、私どもの大きな迷いがあるわけです。自分の迷い心を中心にしたのでは、都合の良い時にはお浄土ですが、都合が悪くなると天国にもあの世にもなります。『我にまかせよ。必ず救うぞ』のあみださまの呼び声が、私にいたりとどいて、まかせる我が身にお育てをいただくのです。

しかし、私が信じ私がたよりにする。『わたしが』となればなるほど迷いが深まってまいります。『なもあみだぶつ』といただく中に、あみださまの真っ只中に生かされているからこそ、めぐまれてくる他力の信心のよりどころを、大事にいただいて参りたいことです。

このように、わたしは、味わわせていただきました。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。