いよいよ介護界の夏フェス「オムツ外し学会2015IN横浜」!

①よりの続きとなります。よろしくお願いします。

特別養護老人ホームでの葛藤

98歳のフミさん(仮)は時折血圧が200を超える時もあります。花が大好きで特に好きな藤の花を見たいと話されるフミさん。何とかその想いに沿いたいと、血圧の現状から体調が急変することも前提としながらも、家族にフミさんとボクたちの想いを伝え、結果家族も一緒に車で片道1時間半かけて足利フラワーパークへ。到着時血圧測定もやはり200超え。でも、本人的に自覚症状もなく、園内では家族水入らずで楽しいひと時を過ごされていました。また、別の機会には何度かお墓参りにも行きました。フミさんは車椅子の生活になってからはもうお墓参りは難しいと諦めていましたが、数年ぶりにお参りが出来た事をとても喜んでくれていました。

88歳のヨシオさん(仮)は某大手会社の元重役。パーキンソン病の進行に伴い幻覚幻聴など認知症状が深くなってきました。落ち着かなくなると、「取引先に挨拶に行くから一万円の菓子折を準備しろ」と話されることもしばしば。そうなると、そこからは行く宛のない旅路のようなもので、車で本人が納得するまでドライブ。大体はヨシオさんの好きなリンガーハットを食べると落ち着かれ、そこを落とし所としていました。

他にもいろいろと個別的な関わりをしてきました。入居者が輝けるように、老人ホームという施設から抜け出そうと試みました。しかし、裁量はこちら側にあって、それをするのもしないのも自分次第。自分がいるのは体制側というか、「カッコウの巣の上で」で言えば管理的な精神病院の職員の立ち位置だ、という思い・ジレンマは拭えませんでした。と同時に、職員に対しては管理的で、お年寄りの尊厳のために、と排泄や入浴・食事環境の改善も図り「~してはならない・~しなければならない」と決まり事をたくさん設けてきました。

還る家ともに にて

で、今ボクは「還る家ともに」においてまさに施設管理職という立場にいます。ですが、今までの様なジレンマは感じていません。それは、ボクは管理職という立場にありながらも(反原発・脱原発ならぬ)反管理・脱管理的な関わりが出来る関係や環境があるからではないかと考えています。なぜそうなれるのか。『還る家ともに』は約40名のボランティアをはじめとして地域の多くの方々に支えてもらっています。その中で10人定員の小さいデイサービスながらも、介護する人・される人といった限定された一方的な人間関係ではなく、ボランティアを中心とした多様な人間関係の中で沢山の交流が生まれ、そこからそれぞれの主体性が自然な形で発揮できる機会が多いからではないか、と考えます。

介護観≒‘介’五感

その主体性はご利用者だけでなく時に職員にも当てはまってきます。ボクはよく「変わっている」とか「個性的」など言われる事が多いのですが、自分に限らず「還る家ともに」の職員はみんな個性的です。ご利用者や職員の個性を狭義の枠で縛りつけ主体性を殺すのではなく、それを受け入れる、排除しない・されない安心感こそがボクの求めるものであります。

「新しい介護」の礎・三好春樹さんは『介護の「介」は介入の「介」ではなく媒介の「介」だ』と仰います。直接的な介護ではなくても媒介になって、感性に沿って「介」五感を大切にしていきたいと思います。