僕は、「暮らし」というコトバが好きです。「暮らし」は「日暮らし」とも言いますね。お日様と人間が一緒になって暮らしがあります。そこには、人間だけではない、すべてのいのちへの広がりがあります。

そして、それは、生きている者だけではなく、死者との暮らしでもあります。
太陽が東から昇り、西に沈む。朝日には生を、夕日には死が、象徴されています。

ポストコロナの時代だからこそ、朝と夕暮れをちゃんと味わえる暮らしを見直して見ませんか。在宅のテレワークや、オンラインによる働き方の改革は、思わぬ所で文化を育む機会に恵まれるのかもしれません。

朝は、コロナの前にも、それぞれに暮らしのルーティーンがあったかもしれませんね。でも、夕暮れ時はどうでしょうか?

飲みに行くのも確かにルーティーンかもしれません。ちょっと、すぐには戻れないというもどかしの中で、あらためて、ポストコロナの時代に、夕暮れを見直すのはとっても大事かもしれません。

1988年の映画に、今年亡くなられた大林宣彦監督の「異人たちの夏」という作品があります。

夕暮れ時がとても大切な時間として、生と死が交わり、出遇う時間として描かれています。生きている者だけが、作り上げている時間ではなく、死者とともにある時間。

ポストコロナの時代だからこそ、これから、夕暮れを夏に向けてのひとときとして大切にしてみませんか。僕たちは、今まで、気づかなかった、暮らしを取り戻せるのかもしれません。