こんにちは。

私は2019年4月から瀬戸内海の離島、小豆島で暮らしています。夫と子ども2人と横浜から移住してきました。ここでは島暮らしの日々をお届けします。

今回は、「島暮らしと防災」についてのお話です。

 

真夜中の「緊急地震速報」!

 

 

先月、深夜に突然、防災無線で緊急地震速報が流れました。

そのあとゆっくり、ぐらぐら・・・という揺れが追いかけてきました。幸い、小豆島では震度2程度でしたが、どんな大地震がくるのかとびっくりして少しも布団の中から動けませんでした。

震源は、宮崎県東部にある日向灘という海域でした。

日向灘は30年以内に70~80%の確率で起こるとされる南海トラフ地震の想定震源域内にあります。今回の地震は大分、宮崎では最大震度5強を記録し、停電した地域もあったようです。

その後、今回の地震は南海トラフ地震に直接つながる兆候ではないという発表がありました。

ひとまずは安心ですが、それでもこのところ全国で地震が頻発しています。温暖化により高潮や大雨の被害も毎年のように全国であるので、これをきっかけにあらためて防災用品の見直しをしました。

 

防災用品の見直し

 

 

 

我が家で防災用品の準備を始めたのは、娘が生まれた2016年頃からです。毎年3月と9月を目安に食品は入れ換えていますが、その他のものはあまりよく見ずにずっといれっぱなしで、電池やカイロ、常備薬もこの6年のあいだに期限切れになっており、新しいものに入れ換えました。

たくさんストックしてある飲み水もどんどん期限切れがふえていきますが、期限切れのものは非常用の生活用水として置いておくことにしました。

災害時こそ心の栄養も大事、ということで最近は長期保存用のお菓子も必須アイテムとしてリストアップされることが多いようです。 

 

都市部の災害リスクとは?

 

 

2016年頃は横浜に住んでいて、夫は都心まで2時間弱かけて通勤していたので、東日本大震災の経験から、帰宅難民になることも想定して鞄のなかには災害時用の首都圏マップをいれていました。最寄りの避難所や歩いて帰るルートが示されています。

被災経験者が「あってよかった」と言う防災用ホイッスルとミニライトもお守りのように持っていました。人口密集地域で暮らし、遠距離通勤もしていた数年間は、「被災したときに無事に家族が再会できるだろうか?」「いざというとき、自分だけで子どもを守れるか?」という大きな不安がありました。

 

 

人口が密集した地域で暮らすということは、食品やガソリンの供給が不安定になったときに需要に供給が追い付かず、充分に手に入らない可能性があります。次にいつ買えるかわからないとなれば、買い占めも起こります。2011年の震災直後はまさにそんな経験をしました。

 

島暮らしと防災

 

 

 

こどもが成長し、移住によりがらっと暮らしが変わった今では、必要な防災用品も変わりました。

被災したとき、家族がばらばらだったとしても、島のどこかにはいます。最初に命さえ守れれば、必ず再会できる距離にいる。この安心感はとても大きいです。

一方、海と山に囲まれた島のなかでは、常に高潮・津波と土砂災害のリスクがあります。

小豆島の2種類のハザードマップ(海の危険と山の危険)を重ねると、両方をクリアしている地域はほとんどありません。どこにいても、海も山もすぐそこ。地震のときは海から離れる、大雨のときは山から離れる、というとっさの判断が必要です。

いま住んでいる集落から町の中心部に出るには道路がひとつしかないので、もし不通になったら数日孤立する可能性もありそうです。万が一のときには、海を渡って避難したり、小舟で救援物資が届いたりすることもあるのかもしれません。

島暮らしでも食料品・日用品のストックは必須なので家族分の準備をしつつ、もしものときにはご近所同士でお互い助け合えるように、差し出せるように、と少し多めに用意することにしました。

いざというときには、ご近所同士で声をかけあうだろう、というのも、以前の暮らしではなかった心強さです。

 

小豆島の災害の記憶

 

 

小豆島での大きな災害といえば、いまでもよく語られるのがこの二回の集中豪雨です。

平成7年の阪神大震災のときも小豆島は震度4の揺れがあったそうですが、「島の災害」といえばこちらの豪雨被害の話のほうを多く聞きます。

一年分の降水量がわずか数日のうちに降り、土砂災害により多くの死傷者を出したと「小豆島 災害の記憶」という冊子に書かれていました。

浸水した地域は広範囲にわたり、いまも電柱に浸水した高さの印がつけられています。私も年配の方々から当時の話をよく聞くことがあります。

自衛隊が舟に乗って住民を救出している写真が載っていたり、集落によっては道路が不通になり孤立し、小学校に通えなくなったこどもたちのために先生が小舟で海を渡り授業をした、という記述もありました。 

 

楽しく備える、これからの防災

 

 

 

防災用品を準備していると、あれこれと不安がつのりやすくなりますが、

いつもレジャーとして楽しく使っているキャンプ用品も、防災の一種かも?と気がつきました。

コロナ禍が続くここ数年、たまに遠くの砂浜にでかけてデイキャンプをすることがあります。

ライフラインに頼らずとも食事の用意ができる、暖が取れるという経験はいざというときにも役立ちそうです。まだ初心者レベルですが、子どもたちと一緒に少しずつキャンプと防災のスキルをあげて、楽しみながら備えていきたいです。

 

もうすぐ、東日本大震災から11年目の3月11日が来ます。

災害の記憶を次に生かすという気持ちは今後も忘れずに持っていたいと思います。

それでは、また次回。お読みいただきありがとうございました。

 

参考

小豆島 災害の記憶 小豆島町、平成26年

 

書き手・イラスト :

喰代彩 (ほおじろあや)

横浜市出身、善了寺のデイサービス「還る家ともに」で介護士として働いていました。現在は小豆島にIターン移住して三年目、二児を育てながら島の暮らしと、善了寺デイサービスの思い出について書いています。(「瀬戸内 島暮らし」、「ばあちゃんたちのいるところ」として連載中)