この度、善了寺のお堂「聞思堂(もんしどう)」を開放して、カフェを営業していただいています。

お寺の境内に、カフェがある意味を、改めて考えてみました。

浄土真宗は、お堂の文化から始まった?

善了寺は、浄土真宗のお寺です。浄土真宗は、鎌倉時代、法然聖人、そして、親鸞聖人にお伝えいただいたお念仏のみ教えです。特に、善了寺は、親鸞聖人にご縁を頂き浄土真宗のお寺として歩み始めました。

親鸞聖人が関東でお念仏の教えを伝えてくださった当時は、それこそ、みなさんがイメージするような浄土真宗の「お寺」というものはありませんでした。

では、どうやって、教えを広められたのでしょうか。様々な研究や考え方があると思います。想像を膨らましてみると、私は、お堂の文化が伝道の拠点になっていたのではないかと思っています。

善了寺には、江戸時代中期ごろの作と言われている聖徳太子像が伝わっています。この尊像は、江戸時代には、善了寺の参道下、東海道沿線にお堂がありそこに安置されていたようです。太子堂というお堂があったんですね。

親鸞聖人は、聖徳太子をとても大切にされています。もしかすると、こういったお堂が各地に点々とあり、そこを拠点にして伝道活動をされていたのではないかと想像しているのです。

「お堂の文化」の多様性

お堂の文化は、とても多様性があったのではないかと思っています。そう考えるきっかけになったのが、「茶堂」の文化との出遇いでした。

「茶堂」に初めて出遇ったのは、2009年、横浜開港150周年記念開国博Y150の会場でした。三方吹き抜けのその建物は、主に四国に点在し、村のコミュニティーカフェとしての使い方などお堂の文化の多様性を気づせてくれました。

実は、海外におけるカフェの役割の多様性を学んだ中で、日本にも同じような文化がないのだろうかと探している時に出遇ったのでした。関東では、「辻堂」などの呼び名で点在していたようです。鎌倉時代にもあてはまるかもしれない思ったのは、鎌倉に点在していた「一向堂」という地名でした。お念仏のみ教えが説かれていた拠点だったそうです。

善了寺のお堂「聞思堂」は建設当初からこの「茶堂」を意識していました。(詳しくはコチラもご覧ください → 「茶堂とは」)

「平和の文化」を育むカフェとして

お堂の文化の拠り所は、そこに御安置されている御本尊です。太子堂であれば聖徳太子、四国の茶堂は、弘法大師さまが多いようです。よりどころですから、お堂がなんのために建てられたのかその意味の中心です。聞思堂の御本尊は「南無阿弥陀仏」のお名号です。

お念仏は、阿弥陀如来の呼び声そのものです。阿弥陀如来の御声が響気わたるお堂が聞思堂です。それは、阿弥陀如来をよりどころに「平和の文化」を育む場所です。

カフェは「ゆっくり堂」という会社に運営して頂きます。その会社は、フェアトレードや有機農法など、自然と共にある食のあり方を考えて、美味しいコーヒーを中心に伝えてくれます。

日暮らしできる地域をみなさんと一緒につくっていきたい。そんな願いをもって聞思堂が新しい一歩を踏みだします。どうか応援してください。