横浜市歌

作詞 森林太郎 (森鴎外)

作曲 南能衛

わが日の本は島国よ 

朝日かがよう海に 

連りそばだつ島々なれば 

あらゆる国より舟こそ通え 

されば港の数多かれど 

この横浜にまさるあらめや 

むかし思えば とま屋の煙 

ちらりほらりと立てりしところ

今はもも舟もも千舟 

泊るところぞ見よや 

果なく栄えて行くらんみ代を 

飾る宝も入りくる港 

 

横浜市歌を知っていますか?

 

横浜市歌とは、明治42年、横浜開港50年を記念してつくられた歌で、森鴎外が作詞を担当しました。

明治時代の言葉なので、少し難解な歌詞ですが、現代語に直すと以下のような意味になります。

 

 (横浜市歌・現代語訳)

 

わが国日本は島国です。

朝日が輝く海に、連なりそびえる島々なので、あらゆる国から船が通ってくるのです。

だからこそ港の数は多いのですが、この横浜に勝る港はないでしょう。

昔を思えば、この横浜は、粗末な家から炊事の煙がちらほらと立つ寂しいところでした。

しかし、ご覧なさい、今や多くの船が停泊する活気ある港となりました。

この果てしなく栄えてゆく天皇陛下の治世を彩る文物が、今日も横浜港から入ってきます。

 

(Wikipedia 横浜市歌より抜粋)


 

このように、横浜の港の歴史をたどり、今と未来の繁栄をたたえる内容になっています。

横浜F・マリノスや横浜DeNAベイスターズの応援でも横浜市歌の一部が演奏に使われ、

横浜市営地下鉄の駅構内BGM としても使われています。

 

また、横浜市立の学校に通った経験のある人ならば、

この難解な歌詞と独特のメロディはしっかり身体に染み込んでいるはず。

横浜市立の学校では、戦前から現在に至るまで、音楽の授業で校歌とともに歌唱指導され、

6月2日の開港記念日や卒業式などの式典で繰り返し歌われています。

 

私も小中高と横浜市立の学校に通ったため、この歌を何度となく歌ってきました。

その後はしばらく遠ざかっていましたが、デイサービスで仕事をするうち、

横浜育ちのじいちゃんばあちゃんたちが生き生きと横浜市歌を歌う場面に出くわしました。

何年も歌っていなかったのに、そのとき一緒にすんなり歌えた自分にもびっくりしました。

歌は世代を越えてつながることができますね。

職業体験で中学生がデイサービスに来たときも、

昔の歌はあまり知らなくても横浜市歌なら知ってます、とお年寄りと一緒に歌うことができました。

 

横浜の繁栄をたたえるこのメロディは、はまっこにとって、学生時代の記憶とともに

ふるさとの誇りを呼び起こす歌なのです…、と言うのは、まあちょっと大げさですが、

「横浜市歌が歌える」というのは、はまっこアイデンティティのひとつであり、

きっとどれだけ年を重ねても、ずっと忘れることのない歌だと思います。

 

ちょっと難解なところがまた、味があるというか、癖になるんですよね。

今まで知らなかったという方も、是非ご一緒に!

 

 

 

参考サイト

Wikipedia 横浜市歌

読んで知る横浜市歌

 

 

この漫画の書き手:

 

喰代彩 (ほおじろあや)

横浜市出身、善了寺のデイサービス「還る家ともに」で介護士として働いていました。

現在は香川県・小豆島にIターン移住して三年目、二児を育てながら島の暮らしと

善了寺デイサービスの思い出について書いています。