「話の筋が分かりづらい」「高尚な感じがする」などの理由から、敬遠されがちな歌舞伎。歴史やストーリーを事前に知ることで、もっと気楽に、楽しく観劇できるようになります。今回は、歌舞伎鑑賞前に知っておきたいいくつかの知識をご紹介します。

江戸時代に成立したミュージカル「歌舞伎」

古い昔から伝わる日本特有の舞台芸術、歌舞伎。まずは歴史をひも解きながら、その概要を見てみましょう。

江戸時代から400年も続く歌舞伎の歴史

歌舞伎の始まりは江戸時代初期。姫路藩主・松平忠明によって編纂された「当代記」という史書には、「1603年に出雲の巫女によってかぶき踊りというものが踊られた」とする記述があり、これが歌舞伎の元となったとされています。(編纂者に諸説あり、不明とする資料もあります)

また、同じくこの踊りは「変わった風体の男の扮装をして踊った」とも記されています。これは、当時の世間体からは考えられないような奇抜な服装をした「かぶき者」のような風体であると考えられており、これが「歌舞伎」という言葉の元となりました。ちなみに、このかぶき踊りを踊った「出雲の巫女」は、現代では「出雲の阿国」として知られており、彼女が歌舞伎の始祖とされています。

風俗を乱すとして禁止された女歌舞伎

阿国が踊ったかぶき踊りが注目されるようになると、同じような踊りを見せる女芸人の一座が次々と現れました。このころの歌舞伎は現代と異なり、女性によって演じられていましたが、遊女たちが演者となることも多く、少なからず色事の要素を含んだものでした。

この女歌舞伎は、当時最新の楽器であった三味線を取り入れ、総合的な舞台芸術として発展し、またたく間に全国に広まっていきました。ところが、その内容から風俗を乱すという理由で幕府から禁止され、いったんはその姿を消すことになったのです。

数々の様式が形成され、現代につながる歌舞伎が成立

この歌舞伎が、また歴史の表舞台に戻ってきたのは元禄期のころ。もちろん、女性による女歌舞伎は禁止されたままだったため、成年男子が役者を務める「野郎歌舞伎」として始められました。現代でも歌舞伎の舞台に女性が立たないのには、こうした事情があったのです。

このころの歌舞伎として特筆すべきは、初代市川團十郎が始めた「荒事」と呼ばれる様式でしょう。これは「見得」や「六方」といった歌舞伎特有の演技や、「隈取」と呼ばれる装いを指しており、現代にもつながる数々の様式が整えられていった時代とされています。また、「女方」を専門とする役者が登場し、女性らしさを表現するための技術が磨かれていったのもこのころのことです。

見る前に知っておきたい、歌舞伎の世界観とは?

歌舞伎を見るうえで、やはり気になるのはそのテーマ。代表的な作品のストーリーを追いながら、定番のテーマについてご紹介します。

追いつめられた家来が差し出した首の正体は……?

現代でも時代劇で見られる「義理と人情」のテーマは、江戸っ子たちが最も好んだもの。その世界観は『菅原伝授手習鑑』という演目のうちの一幕であり、歌舞伎の代表作ともいわれている「寺子屋」の中にも、よく現れています。

物語の中心となるのは、菅原道真とその敵方である藤原時平。時平の家来は道真の息子である「秀才」を殺そうとし、寺子屋に隠れているところを見つけます。本来ならば秀才の命運はここで尽きるはずでしたが、道真の家来の機転により、偽の首を差し出された時平の家来はそれに気づかずに引き上げていったのです。

しかし、ここで差し出された首は、なんと道真の家来の息子のものだったのです。現代であれば自分の息子の首を切るなどありえないことですが、当時は主君への忠義のために我が子を犠牲にする家来として、大いに賞賛されました。主君への義理を果たしたとして、多くの江戸っ子たちの涙を集めたのです。

歌舞伎の世界は「義理と人情」の世界

ここでご紹介した「寺子屋」は、あくまでひとつの例ですが、こうした「義理と人情」のテーマは江戸っ子たちにも人気があり、数多くの名作が生まれました。歌舞伎にはこうした世界観が広がっていることを踏まえると、これまで以上にストーリーが理解しやすくなるかもしれません。

予備知識があれば、歌舞伎の楽しみが広がる

歌舞伎はストーリーや世界観、決まり事などをすべて知っているという前提で演じられるため、初めて見る人にとっては少し取りつきにくい印象になってしまうもの。劇場に入ってから後悔しないよう、観劇前にはストーリーだけでも予習しておくことをおすすめします。きっと、これまで以上に歌舞伎の世界を楽しむことができるでしょう。

もう一つの江戸の娯楽のひとつ「相撲」の記事はこちら

参考:

 

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