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江戸時代は、町民文化のなかでたくさんの華やかな祭りが誕生しました。「深川八幡祭」や「神田祭」、「山王祭」、酉の市などの祭りの多くは、祭り好きの江戸っ子たちによって現在もなお、受け継がれています。今回は、江戸っ子の心意気を伝える人気の祭りを通じて、江戸っ子がどんなふうに祭りを楽しんでいたのかをご紹介します。

江戸の風物詩「酉の市」

秋が深まり、冬の到来をひしひしと感じるころ。都内では江戸時代から続く風物詩「酉の市」が開催され、縁起物の熊手を買い求める人で賑わいます。

開運と商売繁盛を願う人びと

11月の酉の日、開運と商売繁盛を願って開かれる「酉の市」。そもそもの始まりは、江戸近郊の花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)で、農民たちが鎮守である「鷲大明神」に感謝する収穫祭だったそう。農家が農作物を持ち寄って販売したり、熊手やかごの農具などが売られたりしていました。

やがて、江戸からも町民や武士が多く参詣するようになり、社前では年末の大勝負を賭けた辻賭博が開帳されるなど、祭りは幅広い階層で盛り上がっていきました。

江戸三大酉の市

しかしながら、安永年間に出された賭博禁止令を境に、花又村の酉の市は衰退。代わって吉原を隣に控えた浅草の鷲神社が大いに客を集めて有名に。その後次第に、関東各地の酉の寺や鷲神社、大鳥神社など、鷲や鳥にちなんだ寺社が年中行事として酉の市を開催するようになっていきました。

現在、浅草の鷲神社、府中の大國魂神社、新宿の花園神社が都内で特に大きな酉の市として知られ、「江戸三大酉の市」や「関東三大酉の市」と言われています。

祭りを大いに楽しむ江戸っ子たち

江戸時代の浮世絵や俳句などを見ると、酉の市をはじめ、「深川八幡祭」や「神田祭」、「山王祭」などの祭りを大いに楽しんでいた江戸っ子たちの様子がうかがえます。

祭りでひとつになる担ぎ手と観衆

「山王祭」の壮大な山車行列が街中を進んでいく様子が描かれた、歌川貞重の浮世絵「山王御祭礼図」。担ぎ手と多くの見物客が一体となって、祭りを作り上げている様子がひしひしと伝わっていきます。また、「東都歳時記」の富賀岡八幡宮祭礼(現在の「深川八幡祭」)では、なんとも楽しそうにそぞろ歩きする観衆たちが描かれています。

寺社が多かったことなどから、祭りや行事が頻繁に催されていた江戸。江戸っ子たちはそんな状況を好み、 祭りを通して感じる他者との一体化を暮らしの一部として楽しく取り入れていたようです。

縁起物を担ぐ熊手や芋

酉の市の見所といえば、やはり熊手。もともとは収穫祭で売っていた熊手が、運を掻き集める縁起物として話題になり、その熊手に飾りを施すようになるとますます人気に! この効果で、祭りがより賑わうようになったそうです。浮世絵にはユニークな「かんざし熊手」を刺して祭りを謳歌する女性も描かれています。

ほかにも、有名なのは「頭の芋」と呼ばれる大きな芋。人の頭に立つように出世できるとか、1つの芋からたくさんの芽が出ることから「子宝に恵まれる」とされ、これも根強い人気があったそう。開運と商売繁盛を願った、江戸っ子らしい粋な縁起物です。

祭りの盛況ぶりは文芸の主題にも!

江戸の祭りの盛り上がりは、たびたび文芸の主題にもなりました。松尾芭蕉の弟子其角に「春をまつ 事のはじめや 酉の市」と詠まれたほか、「お多福に熊手の客がひっかかり」や「人並に押されてくるや酉の市」など、俳句や川柳も多数残っています。

江戸時代から続くこれらの祭りに足を運んでみると、江戸の祭りにいまも生きる江戸っ子流の粋な光景が垣間みられそうです。

季節の祭りや地域行事を楽しむスローな生活

四季のある日本には古来より、それぞれの季節に応じた祭りや地域の行事がたくさんあり、いまもなお受け継がれているものも少なくありません。身近なイベントに目を向けてみると、地域を見直してその良さを再発見するきっかけになるかもしれませんね。

 

参考:

大江戸データベース | 「江戸・東京デジタルミュージアム」古きをたずねて、新しきを知る。

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