江戸町人の様子を描いた浮世絵。絵としての美しさもさることながら、当時の暮らしぶりを知るうえで欠かせない資料となることは言うまでもありません。そんな浮世絵を楽しむために、知っておきたいことをご説明しましょう。

浮世絵は大衆文化を反映するメディア

白と黒のコントラストと、豊かな色彩が美しい浮世絵。日本だけでなく世界中で評価され、ゴッホのような有名な画家の中にもファンになる人が出るほどでした。

浮き浮きと楽しい「うきよ」を描く

そんな浮世絵の中で描かれているのが、江戸町民たちの生活の様子です。江戸時代以前の戦乱が続いた時代では、「うきよ」は「憂世」と表記され、辛くうつろいやすい世の中を表す言葉でした。しかし、江戸時代になり世情が安定してくると「うきよ」は、浮き浮きと楽しく暮らすという意味の「浮世」に変化しました。こうした流れの中、「今」の楽しい様子を描こうと発展していったのが「浮世絵」なのです。

浮世絵師たちは、流行していた話題や風俗を求め、絵として書き残していきました。特に、当時の庶民に人気が高かった「芝居」の登場人物や、「遊び」などの題材が多く、庶民の目を楽しませました。元禄年間に京都で活躍した西川祐信の描いた「折り紙遊び」は、その代表例と言えるでしょう。

チラシや雑誌の役目も果たした浮世絵

浮世絵には、当時ほとんどなかったメディアとしての役割もありました。例えば、画の中に商品名やコピーなどを入れて描かれた、引き札とよばれる浮世絵は、現代で言うチラシのような役割を果たしていました。この引き札は、独特の大胆な構図から現代でも人気が高く、それだけで展覧会が開かれるほどです。また、天保年間に活躍した歌川広重の描いた「東海道五捨三次之内」は、当時人気の観光スポットであった東海道を題材としており、旅行雑誌のような役割を果たしていたとも言われています。

このように、当時の生活の様子を今に伝えるだけでなく、江戸時代の人々の情報源であり、庶民の楽しみでもあったのが浮世絵なのです。

時代とともに変遷する「美」の基準

浮世絵が当時の大衆文化を反映していることは、絵の中で描かれている女性に注目することでもうかがうことができます。浮世絵の中でも特に人気が高かった「美人画」の美しさの基準は、時代とともに少しずつ変遷しており、江戸の流行や理想とする女性像などが垣間見えます。ここでは、その代表的なものをご紹介しましょう。

少女のような可愛らしい女性表現

浮世絵が生まれた初期では、少女のように可憐で、あどけない女性表現がもてはやされました。宝暦10年(1760年)頃から約10年以上に渡って活躍した鈴木春信はその代表例で、彼の作品の中では、女性がどこかはかない存在として描かれています。

手足が長く、すらりとした女性表現

やがて、女性は手足がすらりと長く、スレンダーな8頭身の美女として描かれるようになりました。安永から天明(1772〜1789)にかけて活躍した鳥居清長がその代表例で、背が高くさわやかな女性を描いた美人画を数多く残しました。

肉感的で妖艶な女性表現

江戸時代後期にあたる文政から天保(1818〜1844)になると、退廃的で、艶やかな雰囲気をもった美人画が好まれるようになりました。その代表格とされるのが溪斎英泉です。彼は春画や好色本にも多くの作品を残しており、どこか色気を感じさせる作品が多いのが特徴とされています。

背景や当時の様子を知ると、浮世絵はもっと楽しめる

浮世絵は独特の技法や色彩が使われており、ただ眺めるだけでも楽しいもの。しかし、その絵が描かれた背景や当時の様子を知ることで、もっと浮世絵を味わうことができます。当時の江戸町民たちの暮らしぶりや文化などが垣間見える浮世絵を、あなたも楽しんでみてはいかがでしょうか。

参考:

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