先日、ご縁があって、本願寺のお朝事にお参りさせていただきました。日頃、のっぽのビルに見下ろされたコンクリートのカクカクした町のなかで暮らしているので、懐かしい母校の龍谷大学の前を通過して本願寺まで。改めて、堂々とした、雄々しく素晴らしい超和風の瓦屋根の伽藍に圧倒されました。

当日はちょうど、蓮如上人のご命日で、前門さまのご出座でした。何年かぶりにまた、予想外にお見かけさせていただいたので、ご出座されてみえた瞬間に、菩薩さまに思えて、神々しいようななんだか、込み上げてくるものがありました。親鸞さまは、私などの想像を絶するご苦労をされたことですが、前門さまも、こんなにも大きな本願寺の中で、同じく私などの想像を絶するご苦労をされておられるのだろうとお察ししました。

本堂内の大きな大きな柱はうちのお寺の細い柱の何倍だろうか。その倍数ほどの歴史と苦難を乗り越えてきたのだろうかと、黒光りした大きな大きな柱を見上げました。そして、それが堂内に何本もあるわけで、つまりは、うちの何百倍もの苦難を乗り越えてきたのだろうと!!
「コロナ禍で、ストレスのかかる毎日を送っているのは私だけではない。なんとかなるよ。できることをやりましょう」と、阿弥陀さまが言ってくださったような荘厳な本願寺の朝のお経でした。

本願寺サイコー、さあ、また、のっぽのビルに見下ろされたカクカクした町で出来ることをさせていただきましょう。

善了寺 坊守 合掌