善了寺では、月に二回お習字の会をしています。

始めにお経を皆さんで唱えて、そのあと、それぞれ漢字や仮名など、鈴木芳華先生に教えていただいています。

写真手前では住職も皆さんとご一緒に練習させていただいております。この日は丁度、お仲間の中にお父様を亡くされたばかりの方が2名おられて、お経を書きながら、住職に色々質問しておらました。その方は『他の親戚の死は経験したことはあるが、親だけは、何だか亡くならないもの、いつまでも居てくれるものと思っていたけど、本当に亡くなってしまうんだ…』と落ち込んでいらっしゃったのですが、「なぜかお経を書くと落ち着く」と言う話をされると、

「お経の文字を書くと乱れた心が落ち着くのは、お経そのものに、徳が既に備わっているから、そのまま素直に頂くだけで良い、何枚も書いて功徳をこちらから積み上げて供養してあげる、と言うものではないのですよ。」

「そういうつらいときこそ、阿弥陀様のお目当てですから、お話を聴いてください」

と話されました。

また「ひとりのお釈迦様が説かれた仏教なのに、なぜ、たくさんの宗派があるのか」など、素朴な質問もされていました。

つらいとき、お寺で、住職さんに教えを聴きながら、お習字なんて、有り難いご縁ですね。少し、スッキリしたお顔をされて、合掌して帰って行かれました。

執筆:坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。