「何しに生まれてきたのか?」

「何しに生まれてきたのか?」という問いは、一見、今の苦とは関係ないと思うかもれません。生まれてきた意味を考えるよりも、今の苦しみが先なので、暮らしの中の対処の仕方を求めてしまいます。しかし、自分の気力だけでは限界もあります。

「まかせよ」の阿弥陀様

阿弥陀様は「私に任せなさい」と、今ここに「なもあみだぶつ」となって私に道を示してくれています。「なもあみだぶつ」のお念仏の中に聴かせていただきましょう。それは、唱えることが条件ではありません。阿弥陀様からの「まかせよ」のすくいの方が先なのです。

日々の暮らしのそれぞれの苦しみに対して、自分の気力だけで対処療法を一つ一つをしても、永遠の解決にはなりません。自力で自分の命の根源を頂くのは難しいことです。自分と自分の周りの人さえ生きていればよいと思っても、苦しみはなくなりません。

安心して涙を流せる場所

「我にまかせよ。すべての生きとし生けるものをそのまま必ず救う。あなたは一人でないよ。ともに歩もう」といつも呼びかけてくださる阿弥陀様にお任せして生きる人生は、みほとけや先人の方の慈悲の中で安心して涙を流し、今と向き合い、少しづつ大きな視野で人生を見てゆくわが身にお育てをいただきます。

煩悩の真っただ中で、煩悩を抱えている私にちゃんと光が当たり、この苦を超えていける人生が恵まれるのです。

もう一度立ち上がれる人生

阿弥陀様のおはたらきにより、生まれてきた意味や命の尊さに気づかされ、苦を乗り越えていく道に気づかせていただき、1日1日の命のあることのありがたさを知らせていただき、謙虚にもう一度立ち上がる人生がめぐまれます。

お念仏申しましょう。そして、お念仏をお聞かせていただきましょう。南無阿弥陀仏