最近、増えたなと思うものがある。「元気な高齢者」を扱う書籍だ。80代は序の口で100歳を越えている人もいる。生きがい、健康観、シンプルな暮らし。そんな生き方がつづられている。へーっと感服するしかない。いわゆる偉人伝ではない。大切な人に伝えたい人生の備忘録のような、知恵袋のような本。

何歳からおばあちゃん?

「高齢者」という区分は医療保険に定義がある。本人の自覚に関わらず一律で、前期高齢者は65歳から、後期高齢者は75歳からと決まっている。

けれど、「何歳以上ならおばあちゃんと呼ばれてもいい?」という問いの答えは、当人の認識と人間関係によって違うようだ。「孫ができたら50代でもおばあちゃんよ」という人もいれば、「まだまだおばあちゃんって呼ばれる歳じゃない」と孫に名前を呼ばせている人もいる。

1990年代にメディアで取り上げられていた双子の100歳おばあちゃん。金さん銀さんは、もっと「むかしばなし」風のおばあちゃんだったように思う。私は勝手に、縁側で猫と一緒にひなたぼっこをしている情景を思い浮かべていた。高齢者といっても年齢に幅があるが、最近は若々しい人が増えたように感じる。今となっては、むかしばなしに出てくるようなおばあちゃんを探す方が難しいのかもしれない。

100歳以上が92,139人!

(数値は「プレスリリース」 厚生労働省 令和5年9月15日より)

学生の時は「高齢化社会(人口に占める65歳以上の割合が7%以上)」という言葉を習ったような気がするのだが、私が学生の間に日本は高齢化社会を通り越していた。現在は「超高齢社会(人口に占める65歳以上の割合が21%以上)」だ。

とはいえ、直接かかわっている高齢者がどれほどいるだろう。自分の祖父母と一緒に暮らした事があればまだいい方だ。私が新卒就職後、都内一人暮らしの時は、ご近所づきあい、親戚づきあいは無いに等しく、お年寄りと全くご縁がなかった。そもそも生活時間帯が違いすぎて、自分の住んでいる地域のお年寄りが目に留まらなかった。働き盛りの世代には、そういう生活をしている人が結構いるはずだ。

昭和の途中くらいまでは、親戚づきあいや地域社会の中で当たり前にあった「老い」が、今は核家族化やプライバシーへの配慮もあって、すごく見えづらくなっている。人はどうやって年を重ねていくのだろうか。どうやって老いと折り合いをつけていくのだろうか。

元気な高齢者を目にする効果

今、野球をやっている子どもたちは、甲子園球児や日本のプロ野球選手を越えて、いきなりメジャーリーガーを目にする、という話がある。小学校入学前から多様なメディアに触れる世代。世界的な選手や卓越したプレーを見て憧れを抱き、初めから高い水準に向かって取り組もうとする。そこにも功罪があると思うけれど、それが現在の潮流だ。

同様に、元気な高齢者の暮らしぶりを知ることは、続く私たちの世代にとって朗報だ。生老病死の中で、これまであまり注目されてこなかった人生の超後半戦を紐解くことになる。

自分がどのくらいまで生きるかわからないけれど、いろんな生き方を知ると「私もいずれこうなるのかなぁ」の想像がちょっと豊かになると思う。

 

 

寄稿者 ほりえりえこ
湘南在住。小学生の娘と暮らしてます。今を大切に。日々のなぜ、なに、どうしてを大切に。心が動いたこと、子どもに伝えたいことを書いています。