「昔、お寺はカフェだった。」こんな事言われてもピンときませんよね。

実は私もビックリでした。お寺とカフェを結びつけたのは、文化人類学者の辻信一先生。まったく、ちがうと思いこんでいた暮らしと暮らしが出会うことによって、新しい文化が生まれてくる体験でした。素直に鵜呑みに出来なかったので、勉強しました。私にとって、勉強できることがとても重要でした。

辻先生は、文化人類学的な視点から、カフェの意味をおしえて下さいました。色々な本を紹介して頂き、学びを頂いた時に、浄土真宗の寺院の在り方と結びつきました。

 

人とひとが出遇い、社会をつくっていくカフェの在り方は、生老病死が分断化されて社会の中で、仏さまの教えをよりどころに分断を超えていくお寺としての実践の在り方に気付かせてくれました。

 

み仏のおわしますお寺に、ふらっと立寄れる。そこは、いつもの時間にいつものように開いている。

そこは、人とひとをつなぎ、人生の厳粛な営みとしての生老病死をつないでいく大事な場所だったと思いました。特に、安心して亡くなった方を思うことができる場所。そこに、人びとの仕合わせにつながるコーヒーがある。時代によっては、コーヒーではなく、お茶だったかも知れませんね。お茶には「垣根を超える」と言う意味があるそうです。

境を超えて新しい暮しをつくっていく大事な場所として声高らかに、これからも「お寺は、カフェです。」と宣言しちゃいませんか?