江戸時代には、旅人が農家の縁側にぶらりと立ち寄ったり、長屋の隣人と上がり框(かまち)に座っておしゃべりをしていたりしていたのだとか。このように、かつては日本家屋にあるのが当たり前だった「縁」と「框」ですが、現代の家では、あまり見かけなくなりました。今回は、そうした「縁」と「框」で、どのようなコミュニケーションが行われていたかを振り返りながら、人とのかかわりについて考えていきましょう。

隣人や旅人がぶらりと立ち寄っていた「縁」

「縁」とは、一般的に、家の外側にある板張りの部分を指します。縁側の起源は、平安時代の貴族の住居にあるといわれ、当初は貴族や武士、裕福な商家などのものでした。近世になって、庶民の住居でも内部と外部との境に建具を設けるようになり、これを「縁側」と呼ぶようになりました。

「縁」がつくる「出会い」

住居の内部と外部をつなぐ中間の領域である縁側は、人と人が出会う場所でした。江戸時代、農家の座敷の周囲には縁側があり、隣人や旅人が訪ねてきては、世間話をしたり食事をしたりしていたことが、旅日記などに描かれています。通りすがりの人がふと立ち寄ったり、なじみの深い親しい客が座り込んで話に花を咲かせたりする「社交」スペースとなっていたのです。一方、長屋には縁側はありませんでしたが、玄関に「縁台」と呼ばれる木製の長椅子を出して、夕涼みや休憩の場を作り、隣人との会話を楽しんでいました。当時の俳句にも浮世絵にも、この縁台は数多く登場しています。

「框」でかわす同じ目線でのよもやま話

「框」とは、玄関などの三和土(たたき)と上り口との段差に取りつける横木のことで、一般的には「上がり框」として知られています。縁と同様に、上がり框は、江戸時代から庶民の住居に存在していました。

「上がる」でも「迎える」でもない対等な関係

上がり框は、家へ「上がる」ために座って、靴を脱ぐための場所でした。靴を脱いだ先には、境界を越えて別の世界があったのです。ところが、江戸時代の長屋では、訪れた隣人が上がり框に座って用事を伝えたり、よもやま話をしたりして、家には上がらずに帰るということもよくありました。相手が親しい人であっても深い縁でない人であっても、「上がる」でもない「迎える」でもない関係。同じ目線でほんのちょっとのコミュニケーションができる場として、上がり框が重宝されていたんですね。

家の構造とコミュニケーションには関係がある⁉

このように縁や框といった境界を曖昧とする建築構造は、コミュニケーションに密接なかかわりがあります。内でも外でもない、奥でも表でもない場所では、私たちは互いの関係性にこだわることなく、同じ目線で気軽なコミュニケーションをすることができるのです。玄関から客間に通されて行う会話ではなく、上がり框にちょっと座って、また、縁側に立ち寄って話すからこそ、ちょうど良い距離感の関係を維持することができたといえるのではないでしょうか。ところが、和風の家が消え、マンションを始めとする洋風建築が主流となった今、縁側も上がり框も少なくなってしまいました。隣人や通りすがりの人との気軽なコミュニケーションが失われたのは、こうした建築構造の影響があると考えられそうです。

ゆるいつながりが持てる場の見直しを

「縁」と「框」のある家は少なくなったことが、隣人との気軽なコミュニケーションが減った原因だとしたら、私たちは一歩立ち止まって、家の構造と人とのかかわりについて見直したほうがいいのかもしれません。人と人がゆるくつながれる場所の在り方も考えていきましょう。

参考: