ばあちゃんたちのいるところ -善了寺デイサービスで過ごした日々ー

その4・未来へつづく種 の巻。

 

デイサービスを利用される方の事情はそれぞれですが、

そのなかには、「末期ガンで自宅療養しながら残された時間を過ごしている」という方々との出会いが何度かありました。

そういうケースでは、もちろん「一日、一日を大事に」と心がけつつ、私はどこかで「あとどのくらいお元気でいられるのだろう」「いつお別れとなってしまうのだろう」と気になっていました。

末期ガンの利用者さんとの出会いは、必ずといっていいほど、だんだんと身体のしんどさがまし、休みがちになり、最期の入院をされて、お見舞いにはうかがうも、そのうちに訃報が入る…という経過をたどってしまいます。

オカダさんも、そうでした。

頭もしっかりとしていてご自身の病状や命の残り時間についても理解している彼が、

「僕に来年はない」「全部、今年で見納め」とつぶやくとき、

安易に「いやいや、来年も見れますよ」「まだまだお元気でいられますよ」と言うことはとてもできませんでした。

自分の余命を受け止めるという心の折り合いなんて、果たしてつくものなのでしょうか。

オカダさんは「それについては、8割がたついています」とおっしゃっていましたが、

それはどういう変遷をたどったのか…

私自身は、オカダさんとの会話や、彼のうえたひまわりの種が季節がめぐり再び新しく私の手に戻ってきたことで、「どこかで大きく、命はめぐる」というような感覚を得ることができました。

それは、逝く人を見送りつづける宿命を持つ介護という仕事をしていく上で、喪失感に押し潰されそうなときに、ずっと気持ちの拠りどころとなるものでした。

 

オカダさんが、境内のお散歩で見て感じていた木々の緑や、花々の香りや、優しい風が

最期の日々をやさしく彩り、すこしでも心の癒しとなっていたのなら、いいなと思います。

それでは、また次回。お読みいただきありがとうございました。

 

この漫画の書き手:

喰代彩 (ほおじろあや)

横浜市出身、善了寺のデイサービス「還る家ともに」で介護士として働いていました。

現在は香川県・小豆島にIターン移住して三年目、二児を育てながら島の暮らしと

善了寺デイサービスの思い出について書いています。