介護の世界では知らない人はいない、という「介護のカリスマ」三好春樹さんと辻信一さんのトークセッション。当初は聞思堂での開催予定でしたが、ご参加希望が多数となったため、急遽本堂での開催となりました。

まずは認知症についてのお話で「なるほど~」と思ったこと

子供(幼児)の世界は、言葉のない世界。
言葉がないことで、より自由で豊かな世界を生きていたりする。
認知症の人たちはそこに還っている。

「迷惑」は、生きていれば誰でもが何かしら誰かにかけている。
迷惑はかけてもいいもの、かけるべきもの、自分もかけているもの、という認識に変えてみる。

認知症で、こんなかたがいらっしゃるとのこと。
分からなくなった自分を恥ずかしく思わず、周りの分かる人に聞く。
自分の弱みを分かって、周りに依存する。
そういう人たちは周りの人を信じているから問題にならない。

認知症の人は、1.5歳ぐらいの赤ちゃんと同じ。快・不快の原則で生きている。なので、便は触っちゃいけないと言われても、不快だから手で排除する。手に付いたら不快だから壁で拭く、といった行動になる。
こういったことが家族の介護の現場に届いていない。こういったことを知ったり意識したりすることでそれまで問題と思っていたことがそうではなくなるかもしれない。
そしてその「意味を知る」「意味があるはずだ」の先に、「意味なんかなくていいだろう」の世界がある、という三好さんの言葉がとても印象的でした。 

「弱さ」の受けとめかたが大切な鍵を握っている気がします。
自分の弱さも周りの人の弱さも、悪いものとしてジャッジするのではなく、ただそのまま、そういう状態として受けとめる。そして次の行動を起こせばいい。それぞれが出来ることをすればいい。弱いからこそ人と繋がれるっていうことありますよね。

お話は、宗教のこと、若者たちのこと、世界や日本で展開されている施設のことなどに広がりました。
「グローバル」から「ローカル」へ。ケアもローカルに。というか、ケアはローカル、個別しかない。「登り続けていく人生」から「降りてゆく人生」へ。死から逆照射して考えてみると、どんな社会を作ればいいのか見えてくる。

そしてご参加のみなさんも交えた質問、対話の時間へ。

岐阜で介護のお仕事をされているかたがおっしゃっていて響いたこと。
職員さんの行動に正解を求めない。
職員さんが良い心を持ってやったことは、たとえ技術がそれほどではなかったとしても肯定していく。良い気持ちが大切。

「スマホおっぱい」
授乳中にお母さんがスマホをいじっていると、赤ちゃんが自分の「快」をお母さんが共有してくれていないと感じ、自己肯定感が低くなってしまうそう。
赤ちゃんにとってその後を決めるとても大切なことだなと思います。
そしてこれは赤ちゃんの授乳時に限ったことではなくて、人同士の関係性の中でもありますよね。こちらが話をしているのに他のことをされたり、考えられたりしているのを感じると寂しくなったり。自分はそんなに価値のない存在と思われているのかと自己肯定感が低くなる。その場、その時に「マインドフル」でいること、やっぱり大切ですね。

最後のお二人の言葉。

等価交換が一般的になっている今の世界。そこから贈与の世界へ。
いい介護が出来る世界。健常者、障がい者の二元論ではない世界へ。
今の世界の中にanother worldを作る。既にある。出来ている。

アンテナを張って、自分がやっていることが世界にどう影響しているかを知ろう。
1人1人の小さなturnが、世界的なturnにつながっていくことを実感しよう。

「社会」から脱出して「世界」へ行こう。

その他に、こんなものも

この日のゼミ生によるカフェごはんはビビンバと重ね煮野菜スープをご用意しました。

途中、辻先生の蓄音機の音が本堂に深く響きわたっていました。