お待ちしておりました。お立ち寄り、ありがとうございます。この「茶堂」の当番をしております。戸塚善了寺住職 成田智信と申します。よろしくお願いします。

「茶堂」の当番として一言

「茶堂」とは、主に四国に点在する「コミュニケーションの場」でした。三方吹き抜けの茅葺屋根の小屋です。村境に建てられ、村人ばかりではなく、他から訪ねてくる人々との出遇いの場でもありました。村人がみんなで順番に守る輪番制で守られていたようです。

私は、お寺で暮らしていて、「出遇う」ことは、本当にすばらしいことだと思っています。

住職になってからもいろいろな方から頂いた出遇いに育てられてきました。生も老も病も死も、一人ひとりの人生があります。具体的なお顔がたくさん浮かんできます。今、生きている人、すでに亡くなっている人・・・。「出遇う」というのは、生きている人だけの話では決してありません。そして、不安や心配事をあおるようなオカルトの話でもありません。

生と死を分け隔てなくいのちと出遇う。それは、決して特別なことではありません。 誰もが生まれそして死を迎えていくのですから・・・。私の生命のあり方そのものを問う大切な視点だと思います。そのよりどころこそ、手を合わせる日暮だと思います。生と死に向かいあう「茶堂」にもちゃんと観音さまやお地蔵様そしてお大師さまが御安置されています。もちろん、仏様もおられます。

生と死を分け隔てすることないコミュニケーション。それが、先人の皆さんが残してくれた出遇いを大切にすべてのいのちと共に生きるというあり方でした。

コミュニケーションについて、敬愛する思想家サティシュ・クマール師は

「一つの方向を共にすることである」とのべられています。大切な示唆ではないでしょうか。

生と死を分け隔てすることなく先人の智慧に学び、様々な出遇いから学びを深め新しい暮らしを発見する場にしていきたいと思います。

どうぞごゆっくりおくつろぎください。