福井県の吉崎別院と吉崎御坊((本願寺第8世である蓮如上人が北陸での活動の拠点とした道場)跡に、行ってきました。

吉崎別院のご本堂をお参りした後、別院脇から、坂道を上がっていくと高台に吉崎御坊跡が、広々と開けていました。

かつて、蓮如上人をお慕いして、1日に一万人もお参りされたという繁栄の様子が、目に浮かぶようでした。

また、わずか4年のご滞在中に、より多くの人々へみ教えを説くべく短い説法の文章『ご文章』をお書きになり、1日に200から、300ものお名号(「南無阿弥陀仏」の六字)をかかれた、ご遺徳に思いを馳せ、同じ場所に立っていることに感動しました。

また、この地にあった立派な本堂が火災にあった時、火中の聖教を、腹を切って入れ火から守られた、本光坊了顕の事や、狼などが住む山中を平らげて、建立された一大宗教都市を退去されなければならなかった時、まさにこの地で涙をのまれたのではないかと思うと言葉を失いそうでした。

文:横浜戸塚・善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。