戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。

場が、決て当たり前でかった、ありがたさ、尊さに、素直に頭を下げていける、謙虚心が私どもに恵まれているこ、とても、大切意味をもっています。

「何があっても、決て見捨てい。私どもに安らぎを与えるために、いつでもどこでも寄り添い、ともに歩んでくださっている」という安心ばがあるからこそ頭を下げていくことができるいでょうか?

こうければ救われい。こうければ、悪いことが起きますよと、不安や心配をあられれば、謙虚にれません。肩に力をいれければ生きていけい、ということがたくさん起こってくるいでょうか?

そんとき、『そままこいよ』と呼び掛けて、良いことも悪いこともうけとめてくれる、それが先人方々が伝えてくださった仏をよりどころとた人生あゆみだったと頂戴させていただくことでございます。

慈悲が恵まれまた。決て当たり前でかった今ひとときを、念仏をよりどころにご一緒に味わわせていただつきまた。感謝申上げがら、い1を歩ませていただきまょう。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。