戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。

『教行信証』にも引用されている『アジャセ王の救いー王舎城の悲劇』というものがあります。

マガダ国というところのアジャセ王が、父母への恨みから、父を殺し、母をも傷つけようとした罪の重さに気づき、取り返すことのできない苦悩をずっとかかえていました。もう、地獄に落ちるしかない、落ちたくないともだえ苦しむのですが、マガダ国のギバ大臣や、お釈迦様のお導きにあって救われたというお話です。

このお話では、「地獄に墜ちないで、お浄土にまいれるから、私は救われました」とはならなかったところが、とても大切なのです。

アジャセ王は、お念仏のみ教えの本質にで遇われた時、「全ての人がお念仏に遇い、全ての人があみださまの慈悲をよりどころとして、生きてゆくのであれば、私は地獄に落ちてもよい」と、むしろ、地獄に墜ちて、全ての人を救うてゆきたいという願いに、いたったというのです。ここが、大きな特色です。罪が罪のままで終わらないのです。

お念仏には、苦悩の今日1日を生き抜いていくための、尊いよりどころをいただいてゆける功徳があるのです。お念仏の尊いご利益の意味合いは、私たちに今、めぐまているのです。

今日の一日を粗末に生きるのでなく、大切に歩ませて、いただきましょう

このように、わたしは、味わわせていただきました。
『ナモアミダブツ』

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。