自家製のハーブを食卓に添えると、ちょっぴりオシャレで贅沢な気分になれるものです。実は江戸時代にも、武士の多くは家族で食べる野菜を自ら育てていました。おかげで、人口密度の高かった江戸全体にも、たくさんの「農地」があったのです。趣味の家庭菜園が流行っていた? それだけではありません。いったいどんな理由で武士が野菜を育てていたのでしょうか。

兼業農家さながらの武士の暮らし

武士の家族は、できるだけ自給自足の暮らしをすることが奨励されていました。そこで敷地の一角に菜園を設け、自家用の野菜や薬草を熱心に育てていたのです。

屋敷の広さは身分によってまちまちですが、例えば100石級の武士でも、広い場合には300坪ほどの敷地がありました。これだけあれば、観賞用の庭をつくってもなお、食用の菜園をつくる余裕が十分にあったのでしょう。柿、桃、クリなど果樹を植えている家も多く、鑑賞用と食用の両面から重宝されていました。

庭には堆肥置き場や農具を収納する物置なども置かれ、現代の私たちの感覚では専業農家と見まちがえるほどに、本格的な菜園生活を営む武士も少なくありませんでした。

家族で畑を耕せば家計も大助かり

武士が家庭菜園に熱心だったのは、お上に奨励されていたからだけではありません。とくに中級以下の武士にとっては、文字通り「食べていくため」に必要だったのです。

武士の基本的なお給料はお米で支払われていました。当時はお米がいわば第二の通貨とされていたのです。江戸の初期、お米の価格が高いうちはよかったのですが、生産効率が上がって生産量が増えるにつれ、やがて米価格が下落します。

さらに商業が活発になると、支配階級以外の消費増大にともなって、お米以外の物価が上昇。こうしたことから、中級以下の武士はかなり苦しい生活を強いられるようになってしまったのです。

つまり、お上に奨励されていたからではなく、ましてや趣味だからというわけではなく、経済的な理由で熱心に野菜づくりに精を出す武士もいたのです。

意外にも江戸は「都市農業」の先進地域

こうした状況を、江戸の町全体で見てみましょう。武家地の面積は、江戸全体の6割以上を占めていました。多くの武士が家庭菜園に取り組み、さらに町民のなかにも小さな家庭菜園を営む人もいました。そのため江戸の町は、今でいう「都市農業」がとても盛んな地域だったのです。

消費の多い都市で食料生産できれば、流通の手間も時間も省けて実に合理的だったといえるでしょう。当時は今のように、大量かつ迅速な輸送手段はありませんでしたから、「地産地消」の重要性が今よりはるかに大きかったはずです。

土に触れる楽しさと新鮮な野菜が手に入る一石二鳥の自給自足

個人のライフスタイルという点から考えてみても、自分の庭で野菜がつくれれば、わざわざ遠くの生産地から運ばれた野菜を買わずに済みますね。

自家栽培による「自給自足」のメリットは、食費を抑えられることだけにとどまりません。土に触れたり植物を育てたりすることがストレス解消に役立つことは、よく知られた事実です。新鮮な野菜が手に入り、ストレス解消にもなるなんて、まさに一石二鳥ではないでしょうか。

「うちには庭なんてないし」という場合、まずはプランター栽培から始めましょう。葉物なら日当たりが少々悪くてもグングン成長する種類もあります。「生産者」気分を味わうことで、きっと農家さんの苦労を身近に感じられるようになるでしょう。スーパーに並ぶ野菜を見る目も変わってくるかもしれません。

江戸にならい、野菜づくりに挑戦しよう

家庭菜園のブームは、既に江戸時代には始まっていました。なかには家計のため、切実な思いで畑を耕していた武士もいたのです。江戸の人たちにならって野菜づくりに挑戦してみませんか。

 

参考:

  • 『江戸に学ぶエコ生活術』アズビー・ブラウン著、阪急コミュニケーションズ