夏みかんの「因」

善了寺の境内にさりげなくというか、自然にというか、昔っからというか、生えている夏みかんの木があります(というか、そういえばありました)

その夏みかんの木には、水も肥料も全くあげたことはありません。でも、毎年毎年、豊作なんです。でも、わたしは、ミカン王国・愛媛県出身なので、温州ミカンに伊予かん、ポンカン、きよみにマドンナなど甘ーいミカンをた~~くさんいただいて育ってきたので、あの、激しい酸っぱさとほろ苦さと分厚くて硬い皮の我が寺の夏みかんには、申し訳ない事ですが、嫁いで25年間、全く興味がありませんでした。

夏みかんの「果 №1」

「あんなに豊作な夏みかん今までどうしてたの?」と聞かれます。欲しいという方には、どうぞどうぞとお持ちいただきましたが、その他は、結末を把握していないという事は、熟されて落ちていずれ土になったのでしょう。

夏みかんの「縁」

ところが、その夏みかんをデイサービスのおばあさんたちが甘く煮てお湯を注いで飲んでいました。そこに娘が通りかかり、「おいしい。お母さんも作って」これまでの長年の夏みかんの「果№1」を変えることになった一言

夏みかんの「果 №2」

マーマレードの完成!

 

夏みかん(因)⇒土に還る(果№1)

夏みかん(因)⇒デイサービスの夏みかん湯(縁)⇒マーマレード(果№2)

物事は、単純に原因から結果になるという簡単なものではない。そこには、思いもおよばない無数の縁があって結果に結びつく。因⇒縁⇒果の関係性が大事です。

と、住職がよく言われます。こういうことだったのですね。おかげさまで、添加物・着色料・保存料不使用のジャムを探してスーパーを歩き回る必要がなくなりました。(初めからなかったということだ・・・)

善了寺 坊守