戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。

親鸞さまは、死別による悲しみをどのように受け止められていたでしょうか。『口伝鈔(くでんしょう。親鸞聖人の曾孫の覚如上人がまとめられた書物)』17章には

「愛する人との死別の悲しみはとてもつらいことであるから、亡き人の枕元や足元で、むせび泣き、亡き人の左右に集まって恋慕し、声をあげて泣いたとしても、決してその涙によって、往生が左右されたりはしない。だからこそ、嘆き悲しんでいるのをいさめるべきではない」

と、悲しい時には、涙を抑えなくて良い、泣きたい時には、涙すれば良いと、止めようのない悲嘆の感情をそのままに受け止められました。

また、18章には、悲嘆を受け止めながらも、遺族を必要以上に悲しませてはならないとも説かれています。過剰な慰めは、かえって相手を深い深い悲しみの底に落としてしまうことになるからです。お酒を勧めて、慰めることも良いだろうと言われるのです。

親鸞聖人の深く共感し、人々の悲しみを和らげたいというお心を感じることができます。

このように、わたしは、味わわせていただきました。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。