戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。

あみださまの前には、お仏飯が、2つあがっています。なぜでしょうか?そのとらえかたのひとつに、お釈迦様とあみださまの関係を大事にしている、ということがあります。

『本来の仏であるあみださまが、おろかな凡夫である私たちを哀れんで、何とかして救いたいと、釈迦族の王としてお生まれになり、出家、修行者となられ、ガンジス河の支流の菩提樹の下で悟りを開き、お釈迦さまとなられた。お釈迦様は、あみださまが、私たちをお救いくださるために、あらわれた姿なのである』と、とらえます。

私たちは、物事をバラバラにとらえることに慣れてしまっていますが、親鸞さまは、あみださまが、私たちを救わんがために、姿をあらわしてくださったお方ですと、お釈迦さまとあみださまを別々にとらえておられないということで、お仏飯を2つあげているという説があります。

お慈悲の1日が恵まれました。今日も1日、なもあみだぶつと、お念仏をいただきながら、あみださまの大慈悲のなかで、一歩一歩あゆませていただきましょう

このように、わたしは、味わわせていただきました。

お仏飯については、「お仏飯にお育てをいただいて〜藤原辰史『食べることを考えること』を読んで〜」でも、住職が書かせていただきました。
よろしければ、ご覧ください。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。