先日、築地本願寺の新たな布教所として開かれた、川崎多摩布教所慶念寺の開所を記念して、開催された公開講座に行ってきました。テーマ「死から生、いのちをみつめる」と題して、あそかビハーラ病院 大嶋健三郎(おおしま・けんざぶろう)院長と、同じ病院の花岡尚樹(はなおか・なおき)院長代理のお話を伺いました。花岡さんは、この病院で常駐僧侶として活躍されている方です。病院の紹介を引用します。

あそかビハーラ病院とは仏教精神を基本理念とする、伝統仏教教団が単独で運営する独立型緩和ケア病棟です。病棟には、僧侶が常駐し、心の不安やいたみを抱えた患者や家族によりそい、ささえています。ビハーラとは古代インドのサンスクリット語で「精舎・僧院」「身心の安らぎ・くつろぎ」「休息の場所」を意味しています。

あそかビハーラ病院には何度か訪問させていただき、大嶋院長・花岡さんともご挨拶はさせていただきましたが、現場の話をゆっくり伺ったのは初めてでした。本当に素晴らしいケアだと思いました。ビハーラ活動の中心となる、あそかビハーラ病院のケアの現場が、これほどまでに、生活を大切にされている場だとは思っていなかったのです。

あそかビハーラ病院は、独立型緩和ケア病棟です。お話の中でも、末期癌の方々が、入院されるケースがほとんどで、末期癌の方々の特色として、ガンを抱えながらも元気であった人が、何かをきかっけに一気に衰弱しなくなっていくケースがほとんどであると語られていました。ほとんどが短期間のケアになるそうです。しかし、だからこそ、全力で、関わることができるのだと、大嶋院長は話されていました。死としっかりと向き合いながら語られる大嶋院長と花岡さんの姿は、一緒に人生の終末を歩んでいく同朋(どうぼう)に語りかけているような言葉でした。

デイサービス「還る家ともに」も、ご利用されているお一人おひとり生活に寄り添い、平成17年の開所から13年目を迎えています。緩和ケアと通所ケアには、確か大きな違いがあります。この度、お話をお聞きし、私自身、その違いによって思い込みを作り、どのようにビハーラ活動を受け止めれば良いのか、関係を見失っていたのだと気付かされました。

しかし、大切なことは、ケアの違いによって、壁を作ることではなく、緩和ケアと通所ケアの違いはあっても、たくさんの生きづらさを抱え、生死の現場の苦悩を抱えながら、私たちの現場とご縁を結んでくださったお一人おひとりとともに、それぞれの現場で「生活を作る」ことでした。それがまさにビハーラ活動の本質だったと思います。「生活を作る」とは、生死を生きることです。決して死を切り離して成り立つことではありませんでした。

ビハーラ活動」とは誰もが抱える「生・老・病・死」の苦悩に共感し、医療・介護のといった社会福祉の各分野が連携し、少しでもその苦悩を和らげていこうとするものです。
(当日パンフレットより)

苦悩を和らげることは、苦悩を奪い去ることではないのです。苦悩を抱える人生に寄り添いともに生きること。それは、苦悩の横に、そっと寄り添う、同朋がいることだと学びをいただきました。同朋とともに成り立つケアだからこそ、お寺がケアと関わる意味があると思います。

みなさんとご一緒にこれからもビハーラ活動を学びほどいていきたいと思います。