「三方よし」と書いて「さんぼうよし」または「さんぽうよし」と読みます。「売り手よし、買い手よし、世間よし」で三方です。

私が初めてこの言葉を知ったのは大学の経営学の授業でした。「海外のビジネスでは取引に双方メリットがあることを”Win-Win”(ウィンウィン)と表現します。さらに最近では企業の社会的責任も問われています。」そんな文脈で「日本の商人にも元々そういう概念がありました。それが近江商人の『三方よし』です。」という内容だったとうっすら記憶しています。

さて、最近になってその言葉に再会しました。

お寺の奥さんのお話によると、
「近江商人の「三方よし」は仏教の教えに支えられて実践されたことなんですよ」とのことなのです。

学生時代のうっすらした記憶でいくら考えても話が繋がりません。この機会に「三方よし」とはなんだったのか調べてみましょう。

 

「三方よし」の出処

江戸時代、近江の麻布商であった二代目中村治兵衛(法名 宗岸、宝暦七年(一七五七)四月二十五日没、享年七三)が、亡くなる三年前に家訓として残した書置きの一部が元になっており、今では広く近江商人の信条を表すものとして用いられています。

原文は以下でした。

「たとえ他国へ商内(あきない)に参り候ても、この商内物この国の人一切の人々皆々心よく着申され候様にと、自分の事に思はず、皆人よき様にとおもひ、高利望み申さず、とかく天道のめぐみ次第と、ただそのゆくさきの人を大切におもふべく候、それにては心安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通に心さしをおこし申さるべく候事、第一に候」

右の条文を敢えて訳出すると、他国へ麻布などの行商へ出かけるときには、気分よく商品を購入活用してもらうために、まずその土地の人々のことを大切に考えること、自分のことばかり計算して高利を望むようなことをしてはならない、日頃から神仏への信心を厚くして欲心を抑え、行商のために他国へ入国する際には、たえず相手のことを思いやる志を持つことが第一である、ということになろう。
「近江商人 現代を生き抜くビジネスの指針」末永國紀 中央公論新社 2000

 

近江商人を取り巻く環境と「三方よし」の必要性

近江商人は上方の物を持って行商に出ました。しかし江戸時代は藩ごとに財政が独立しており藩内で経済を回すことが優先されていました。「行商人の入国を禁止する」とか「他藩のものは買うな」という御触れが出たこともしばしばありました。そんな中、藩外へ出て行商するのは大変なことだったのです。

近江商人の営業方法の一つに「ノコギリ商売」というものがあります。上方の商品を地方へ売りに行き、地方の物産を買い付けて上方へ帰ってくることです。他の行商人は売り切ったら現金だけ持って引き上げるのが慣例でした。各藩にとっては藩内で行商されても貨幣の流出が抑えられ、特産品を上方で売ってもらえるメリットがあります。

近江商人は地方に上方の情報をもたらてくれたとも言われています。藩の出入りは制限され、今のように情報網が発展していなかった時代です。近江商人が面白おかしく語る都の話、行商でまわった津々浦々の話もまた、地方の人々にとっては楽しみでした。必要な品物を届けると同時に情報という付加価値も届けるという考え方です。もし扱う品や情報がいい加減なものだったら、悪評が広がり、他藩で次の仕事はできないでしょう。

藩を越えて行商をするからこそ、買い手のみならず世間への配慮が欠かせなかったのです。近江商人は行く先々で信用を積み重ねることで商いを広げていきました。

 

「三方よし」の精神と仏教

近江商人の商法の底には「自分も利益を得るが、お客様も利益を得る」ということがあった。これが、近江商人独特の「自利・利他の精神」である。それによって、社会が豊かになるという、近江商人の言い方を借りれば“三方よし”である。
「江戸300年大商人の知恵」童門冬二 講談社 2004

 

この「自利・利他の精神(*1)」というのが仏教の教えです。近江商人には信仰心の厚い人が多く、陰徳を積むことを喜びとしたと言われています。商売が大きくなると、街道の修繕や地域住民のための文化的施設をつくるなどして、地域への利益還元を行った者も少なくありません。

近江商人の勤勉、誠実、倹約などは強い信仰心に裏打ちされたものです。現代にも続く伊藤忠商事の興産の祖、初代伊藤忠兵衛も近江商人です。彼はとくに熱心な浄土真宗の門徒として知られています。行商の先々でも真宗の説法に耳を傾け、「商売は菩薩の業」と信じ、朝夕店員とともに念仏をあげていたといいます。

また、近江商人は他の行商が避ける険しい道を敢えて選びました。例えば東へ向かうなら、宿場の多い東海道ではなく、山間部を行く中山道へ。品物が渡りにくい所、情報が少ない所に商機を見出したわけですが、その分、旅の息災を願う精神的な拠り所として、信仰心を厚くしたのです。

 

まとめ

近江商人が「三方よし」を信条としたのは、このような時代的、宗教的な背景によるものだということがわかり、とても興味深かったです。

「三方よし」の概念を現代のビジネスに当てはめて考えてみると、「世間」という概念がもっと広がっていることに気づきます。かつては「商売を展開する地域」=「世間」でした。しかし現代のビジネスでは、地域社会を始め、グローバルな地球環境や遠隔でつながるコミュニティなども「世間」に分類されるでしょう。

「世間」が複雑化し変化の速い時代にあっても、精神的な拠り所のある人は強いと思います。天秤棒一本から始まった近江商人たちが大商人にまでなれたのは、その信念が揺がなかったからです。「世間」を大事にしながらも振り回されることのないように、私も自分の内側の軸をしっかり立てていきたいと思いました。

 

※1「自利利他」
「自ら利益を得ることを<自利>(svartha,atma-hita)、他人を利益することを<利他>(parartha,para-hita)といい、この両面を兼ね備えることが大乗仏教の理想とされる。菩薩が<上求菩提・下化衆生>(上には自利のために菩提を求め、下には利他のために衆生を導くこと)を実践し、仏が受用身において自受用・他受用の両面を兼ね備えるとされるのも、大乗仏教のこのような理想を示すものである。」
「岩波仏教辞典第二版」岩波書店 2002

 

参考文献
「近江商人」末永國紀 中央公論新社 2000
「江戸300年大商人の知恵」童門冬二 2004
「江戸に学ぶ企業倫理 日本におけるCSRの源流」日本取締役協会編著 生産性出版 2006
「岩波仏教辞典第二版」岩波書店 2002