シビ王という心やさしい王さまがいた。帝釈天はその心を試した。

王さまのところに鷹に追われた鳩が来て、命ごいをした。

鷹は王さまに、

私は腹が減っている。鳩を食べないと死んでしまう。あなたは鳩のいのちとわたしのいのちとどちらが大事だと思っているのか。

と尋ねた。

そこで王さまは鷹のいのちも大切だと思い、自分の体の肉を鷹にやろうと思い、鳩と同じ重さ分だけ自分の肉を切り取って天秤の上に置いた。

しかし、その天秤はどれだけ王さまの肉を切り取って置いてみても、鳩の重さとつり合わない。

そこで王さまは自分の体を天秤にのせ、自らいのちを与え、鳩のいのちを救いました。

シビ王の心を知った帝釈天は、王の傷をもとのように癒し、敬った。

引用 浄土真宗本願寺派 総合研究所  http://j-soken.jp/ask/2043

上の例話は、仏の前生における菩薩行が説かれている経典でジャータカ物語の中の『いのちの天秤』というエピソードです。命の重さとは、ミジンコの命もクジラの命も、私の命も同じ尊い命であることを教えてくれます。また、ただ頭で理解するだけではなくて、自分の身体を削って痛い苦しい思いをして助けたという王様の実践はなかなかできることではないですね。

私の現実はこうです。以下『善了寺の高齢者のデイサービス還る家ともにのニュース2021年6月 Vol.181編集後記』より引用します。

善了寺では、今年も、早々と蚊が発生しました。先日、デイのおばあちゃんの手に蚊がとまっていたので、私が、つぶしてあげました。ところが「あげました」と言うのは私のうぬぼれで、その方は「私は蚊は殺さないのよ。こんなおばあさんの血を吸って生き延びるなら、吸っても良いのよ。元気に生きるのよ、って私は蚊に血を吸わせてあげてるのよ」と言われました。何とも、衝撃的なお言葉で耳を疑い、聞き間違えたのかと思って何度か聞き返してしまいました。そしてその方のお考えをよくお聞きしているうちに、迷わずに蚊を殺して良いことをしてあげた気になった自分がジワジワと恥ずかしくなってきました。今年の夏は、蚊の命の尊さを考えさせられる夏になりそうです。自分のかゆみと引き換えに?(善了寺のヤブ蚊はかなりのパンチで吸血してくるんだよなぁ‥‥)

夏の大敵と思って無条件に殺していた「蚊」。まるで「私は鷹」で「蚊は鳩」、「おばあちゃんはシビ王」のようです。実際、おばあちゃんは、蚊に刺されてもかゆくないのよ、といわれていました。帝釈天がかゆみを取り除いてくれているようです。

善了寺 坊守