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恋愛は楽しむもので、結婚とは別物……。民の間では、このような考え方が主流だった江戸時代。江戸の町には心ときめくような恋があふれ、それぞれが自由に恋愛を楽しんでいました。今回は恋愛に積極的だった江戸の女性にフォーカスして、おおらかで自由奔放な恋愛事情をちょっとのぞいてみましょう。

恋愛の主導権はもちろん女性

江戸時代初期、武士の多かった江戸の町では圧倒的に男性が多く、男と女の比率は2:1。その後、徐々に男性の割合が増えてはいきましたが、女性は引く手あまたの貴重な存在でした。

そのため、江戸っ子たちの間では、恋愛の主導権を握るのはもちろん女性。デートの誘いもプロポーズも女性からというのがごく当たり前で、男性は意中の女性に恋文を書いてひたすら返事を待っていました。

デートの時も女性のほうが積極的です。当時、庶民の間で好まれていた茶色や灰色の着物に真っ赤な口紅を刺して、自らの魅力をアピール。そして、相手への愛が燃えつきてしまったら女性のほうから、すぐに「さようなら」とあっさりしたものでした。おおらかでなんとも男前な江戸の女性たち。草食系男子と肉食系女子が増えている平成の現代と江戸時代、どこか似ているような気がしませんか?

江戸の女性にモテたのはヤサ男!

江戸の女性たちは、どんな男性がタイプだったのでしょうか?

力仕事の多かったこの時代、普通に暮らしていても男性にはモリモリと筋肉がついていて、街中にふんどし1枚で駆けまわる肉体労働者が多数いました。そのため、女性たちはありきたりな男性の肉体美には、さほどの感動も抱かなかったようです。反対に、浄瑠璃でよく描かれた「色男、金と力はなかりけり」といったような、色白でなよなよとした優男がもてはやされました。

そんなわけで、いまでは男らしい個性を演出するお洒落なひげもNG。ツルツルの肌が粋だとされていて、男性たちは毛抜きでひげを1本ずつ抜いていたという話もあります。 さらに、歯並びのよい白く光る歯がモテる条件で、男たちは柳の端を砕いた房楊枝で歯磨きに精を出していました。「喰いつぶすやつに限って歯を磨き」という古い川柳からは、道楽が過ぎて身代を食いつぶす若旦那が、遊びのために時間をかけて歯を磨く様子がみてとれます。

モテるために、なんとも涙ぐましい努力をする男性たち。ちなみに、「モテた=持てた」という言葉ができたのは、この江戸時代とか。女性が少ないことなどから遊郭が盛んだった江戸では、花魁が男性客を「振る」ことも少なくなく、男性客たちは花魁たちを口説き、「持てよう(好意をもたれよう)」と必死になったとか。そこから「持てる」という言葉が定着し、漢字表記が次第にカタカナ表記の「モテる」になりました。「モテる」とは、意外にも歴史のある言葉なのですね。

混浴が多かった風呂屋では裸同然の大胆なお見合いも

ほとんどの庶民の家には風呂がなく、江戸っ子たちは湯屋(銭湯)を頻繁に利用していました。入口こそ男女別々でしたが、中に入ってみれば男女混浴というのが一般的でした。お金持ちのお嬢さんは、乳母二人掛かりでがっちりと体をガードされていましたが、町の娘さんのなかにはお互い裸なのをいいことに、お見合い場所にする人もいたという話もあります。「念のため湯屋で仲人見合いさせ」という川柳もあるほどです。信じられないような大胆さに首をかしげるような、でも合理的とどこか頷けるようなエピソードです。

江戸の女性たちのおおらかな恋愛

江戸時代の美人の条件は、いきいきとして気持ちに張りがある「小意気」、さっぱりとして清潔な「小奇麗」、体の芯がシャンとしている「小確り(こじっかり)」。まさに、チャキチャキの江戸っ子女性でした。恋愛をリードする女性と、そんな女性にモテようとがんばる草食系の男性……。現代社会の男女関係や恋愛観にちょっと息苦しさを感じていたら、こんな江戸っ子たちの自由奔放な恋愛を思い浮かべてみてください。心がふっと軽くなり、いい意味でおおらかな恋愛を楽しめそうです。

参考: