戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。

お朝じのこの場も、私たちの考えを超えている世界です。全てが、自分の力人間のものさしだけで成り立つわけではありません。

「なぜ、この場があるのだろうか?」「私の気づかないところで、多くの命に支えられている」という考えを頂くと、自分の殻が打ち破られて、広大な世界が開かれていきます。

「私が南無阿弥陀仏と、お念仏したからこういうご利益がいただけます」という考えではなくて、今日、この場に皆で集い、念仏を称え、お正信偈をいただきながら、お参りさせていただいたことそのものを、謙虚に大切に、そして敬いの心を持って味わっていくことができるとき、「今、阿弥陀如来様が私の上に現れて、ここに恵まれていますよ」と、お伝えくださった先人の方々の思いの深さ・願いの尊さを思わずにはおれません。

まさに、今日、お参りされたことを、「よくお参りされましたね」と、無量の諸仏があふれるばかりに満ち満ちているように讃えてくださっているのです。

私たちの命は、生きている間だけで、成り立っているのではありません。生きているという事だけで、物事を見がちですが、ご先祖様、前を歩かれた方々のご恩を頂いて今がある。そして、私たちの日々の歩みそのものが、次の世代に受け継がれていく。

この尊いご恩のつながりを改めて頂戴させていただく。そういう場が、今日のお朝じのご縁でした。

このように、わたしは、味わわせていただきました。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。