善了寺で昨年から始まっている本堂・客殿・庫裏(デイサービス棟)の新築工事もいよいよ佳境に入ってきました。住職としては、解体されて、ある程度の姿が見えるまで、約1年ちょっと気持ちが落ち着きませんでした。やっぱり本堂だったからですね。先の本堂も祖父の願い、先代の思い、そして、多くのご門徒の皆さんのこころがこもった建築だったからです。でも、やっと工事も後半になり、完成が待ち遠しくワクワクしてきました。日々懸命に現場で取り組んでくださる大工さん、職人さんたち、そして、一緒になって悩みわが子のように見守ってくれている設計監理の大岩先生・水野さん・粕川さん、多くの方々の願いが業(わざ)にあらわれて今、佳境に入ってきました。有難いことです。

なによりも、善了寺を共に盛り立ててくださる多くのご門徒のみなさんの願いが、実を結び始めています。善了寺役員会はじめ、多くのご門徒の皆さんの楽しみに待っていてくれている姿を見るとほっとします。

さあこの新しい善了寺から、多くのまだ出遇えていない皆さんともご縁を結んでいきたいと思っています。情報マガジン「茶堂」で見どころをシェアしていきたいと思います。是非、お読みください。そして、お参りしたいと思ったらいつでも気軽に現場見学に来てください。

本堂等建築のみどころをざっと書いてみると

見どころは、たくさんあります。工事の前半で終わってしまいましたが、本堂の大壁ストローベイルワークショップ。後半で最後の仕上げ工事があります。その時に改めてレポートしたいと思います。今、佳境なのがなんといっても葦(ヨシ)壁ですね。また、客殿の内装では、麻の和紙(麻紙)を中心に麻の文化を表現します。家具には鳥取県の智頭町の杉を使います。基本的な構造材は宮城県栗駒山の杉です。ここにも素敵なストーリーがあります。そして、デイサービスの建築にも素敵な魅力がいっぱいです。少しづつご紹介します。

モダンな善了寺建築の原型は、実は、昭和30年代。

まず、お伝えしたいのは、今回の本堂建築は、前に建てられていた本堂のデザインを大事にしています。私の祖父が、昭和30年代当時にご門徒のみなさんとともに建てられたものです。戦後10年という激怒の時代です。高度経済成長が始まろうとしている、そんな時期に、モダンな本堂が建設されたのでした。時代を見据え、そして時代を貫く、そんな寺院のあり方を祖父が伝えてくれている建築だと思っています。その当時から、本堂は土間で靴でお参りできたそうです。そして、当然全席椅子席でした。チャーチチェアー風のものが置いてあったそうです。椅子をどければ、ダンスホールになり、仏さまがおられる空間(内陣と言います)は、仏具を片付け幕を下ろせば、舞台へと早変わり。なんと、その当時映写室を備え映画をみることができたのでした。

仏の願いに応えていった祖父の建築

建築というのは、時代を超えて願いを伝えていくのだと思います。お寺の本堂です。その中心は、御本尊阿弥陀如来様です。その願いは、仏説無量寿経の中に「生死の苦におののくすべての人々に大きな安らぎを与えよう」※1とあらわされています。激動の時代にあって、多くの人々が人生そのものに迷い不安や恐れを抱えていたのだと思います。今も昔も変わらない、私たちのあり方かもしれません。そんな時、孤独に震える人々に、集いの場を開き、心安らぐ音楽を奏で、いろいろな学び深める映像体験の場を創っていった祖父。その願いは、みほとけの願いに応えていくものだったと思うのです。

「懐かしい未来」まさに、先人の願いを今私が学び深め、現代の灯としていくことが、この本堂建築の原点だと思っています。ここから、様々な建築のあり方が広がっていきます。シリーズ第2弾はまずはヨシ壁について書きたいと思います。

参考: