重ね合わせた布に、細かく施された刺し縫い。今や日本の伝統民芸となった刺しゅうの「刺し子」は、着物や布を長持ちさせる庶民の知恵から生まれました。今回は、生活の知恵に長けていた江戸時代の人々が刺し子をどんなふうに活用していたのか、ご紹介します。

庶民の知恵が生きた「刺し子」

刺し子は、古くから日本に伝わる手芸の技法。布を重ね合わせ、職人たちが一針一針、気の遠くなるほどの時間をかけて、一面に糸で細かく幾何学的な模様を連続的に刺し縫いしていきます。傷んだ布の補強や防寒のために、衣料に刺し子をしたことがその始まりと言われています。物資が豊かでなかった時代、人々の暮らしの知恵から生まれた技術と言えるでしょう。

広く知られている東北地方の三大刺し子

全国各地で刺し子が見られるため、その発祥の地は定かではありませんが、特に東北地方に伝わる刺し子が広く知られています。青森県津軽の「こぎん刺し」、青森県南部の「菱刺し」、山形県庄内の「庄内刺し子」は、日本三大刺し子と呼ばれています。
現在では、刺し子本来の防寒や補強の役割は薄れつつありますが、伝統民芸としてクッションやコースター、バッグなどの生活用品にその伝統的な模様が使用され、身近に存在しています。

「こぎん刺し」で寒さをしのいだ人々

日本三大刺し子のひとつである津軽地方の「こぎん刺し」 は、江戸時代に始まったようです。寒さの厳しいこの地方では、綿の栽培ができませんでした。さらに、身分制度のなかで1742年(享保9年)に発令された「農家倹約分限令」によって、農民たちは仕事着をはじめ、被り物、肌着、帯まで木綿の着用が禁止されていたのです。
代わりに麻布を使用することになったのですが、夏場だと通気性がよく気持ちいい麻も、寒さの厳しい北部の冬には不向き。そこで、繊維の荒い麻を糸で一針一針埋めていき、暖かい空気が服の中に留まるように工夫を凝らしました。厳しい生活環境のなかで、知恵を絞ってたくましく生きた当時の人々の苦労が忍ばれます。

火事の多かった江戸で活躍した「刺子半纏」

同じ江戸時代に、江戸でも刺し子は大活躍していました。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、火事の多かった江戸時代。布地を二重三重に重ね合わせて細かい刺し子を施した、刺子半纏(はんてん)がフル活用されていました。
火事が発生すると、火消したちは動きやすくて頑丈な刺子半纏を身にまとい、頭から水をかぶって出動。たっぷりと水分を含んだ半纏が、降りかかってくる危険な火の粉から火消しの身を守っていました。ほかにも、手套(しゅとう)と呼ばれる手袋や頭巾にも、びっしりと刺し子が施されていたそうです。
そして、消火活動の大役を果たした火消したちは刺子半纏を裏返しに。裏面に描かれた豪快な勇み絵を見せながら悠々と帰っていく火消しの姿に、町民からは称賛の眼差しが向けられたとか。

刺し子で限りある資源を有効に

江戸時代、手織りでしか生産できない布はとても貴重なもので、庶民のほとんどは古着屋で布や着物を調達していました。その着物が古くなれば、子供服に仕立て直したり、おしめや雑巾にしたり、残ったハギレを端切れ屋に売ったりして、何度も再利用。使い込んでいく過程で痛んでいく布に、美しい刺し子を施して長持ちさせるように工夫していたのです。

布を組み合わせたり、刺し子をして補強をしたりしながら、最後まで布を大切に扱っていた江戸時代。モノがあふれる現代にあっても、丁寧な手仕事とモノを大切にする習慣をぜひ見習いたいものです。

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参考:

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