今、朝のおつとめは、聞思堂にて行っています。聞思堂は、木と土と藁と、自然素材に囲まれたお堂です。(是非聞思堂の動画もご覧ください。http://www.www.chadeau.com/20150804-3/)本堂が新築中なので、阿弥陀様をすぐ近くでお参りすることができます。

朝のおつとめにお香をたきます。お参りはつながりを豊かにすること。

おつとめには、お香がかかせません。それこそ、記事の中にもありましたが悠久の歴史を伝える尊い香りですね。「お経をいただく」という考え方があります。すべてのおつとめがこの立場なのですが、朝、御香の香りを聞きながら、お勤めすると特に感じます。「いただく」という立場は、一人ぼっちではありません。そう、お参りは、自分の世界に入り込んでしまうのはなく、私の存在そのものが、生死をうけとめ、多くのいのちとのつながりを豊かにしていくことなのです。それは、「香を聞く」という言葉の中にも息づているのだと思います。

「香を聞く」~過去・現在・未来をつなぐ言葉~

「香を聞く」とは、つながり、関わることを粗末にしない言葉ではないでしょうか。関わることを粗末にしないとは、「今」を大切することです。「時間を計ること」に慣れてしまった私たちは、時間を生活の中から切り離して独立して流れているものと感覚的にとらえていますね。そこから、バラバラにしなが物事を考えていく癖が身についてしまうのではないでしょうか。「今」を生きることは、関わりを粗末にしないこと。お香も時計として使われている文化がありました。時を刻むのではなく、「香りを聞く」中に時を感じていく。そこには、過去・現在・未来と切り離された別々の時間があるのではなく、過去と未来が、今、ここに生まれていく・・・。大切な「今」のあり方があるのではないかと思います。

お勤めの時は、仏さまの前でお勤めします。善了寺の御本尊様は、阿弥陀如来さまです。戦国時代から脈々と受け継がれてきました。先ほども申しましたが、期間限定で今だけ本当に近くでお参りすることができます。一人ぼっちではなく、みほとけの御前にお勤めする時、香りにはみほとけの心が息づいています。誰もがホッと落ち着くことができる、過去・現在・未来の生きとし生けるものがみな、今ここに、つながっているのです。みほとけの平等のこころを、香りを通して聞かせていただきます。

香りが運ぶ豊かな関わりをどうぞ生活の中に

江戸時代、香道は、一部の人だけではなく、多くの人々に愛されたそうです。私たちは、そのこころいきを大切に学びたいものです。新しい文化をつくりあげていったということですね。どんな立場の人でも、分け隔てなく付き合うことができることを「粋」というのだと聞いたことがあります。印象深い言葉だったので覚えています。御香も、みほとけの平等の心を表すと伝えられてきています。香りを聞きながら、「粋な生活」を生み出していたのかもしれません。私たちも是非、生活の中に豊かな香りの文化を取り入れていきましょう。