善了寺の山桜が咲きました。実はこの写真を撮影する前日は大雨で嵐のようでした。あァ、明日の朝はもう、散っているだろうな、満開の写真とれなかったなと、心配していました。まさに、親鸞聖人の、「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」が、ぴったりの情景でした。

 

ところが、朝起きて見ると花が綺麗に残っていたのです。老木のため、台風の度に枝がポキポキ折れてしまうのですが、それでも今年も魅せてくれました。夜中の強風でも散らずにいてくれた桜を見たとき、今の新型コロナウイルスの状況と重ね合わせて、いつ感染するかもしれない私ですが、今日も目覚めさせていただけたのだと、感謝の気持ちがわいてきました。そして、その有難い、今日の一日を謙虚に大切に出来ることを精一杯させていただこうという気持ちが、美しい桜を眺めていると、ふつふつと沸いてきました。

 

ただ、この気持ち、ズーと毎日続かないのが難点です。クタクタに疲れたとき、ケンカしたとき、悲しいとき、怠け心やなげやりで後ろ向きな気持ちが、ふつふつと沸いてきます。あァ、桜が一年中咲いていて、毎晩、嵐だけど、翌朝桜は散っていなかったら、この気持ち、持続できるかもしれないのに…

私の心も世間の状況も、常に変わっていく無常なのだと嵐の翌日の満開の桜の花が、教えてくれます。

 

文:横浜戸塚・善了寺 坊守(※)
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。