戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。その時のお話を、ご紹介させていただきます。

実は、私どものお参りの場は、私の願い事を叶えてもらおうと思ってお参りしているのではありません。私の願いが弥陀の願いによって育てられてゆく場です。

お浄土を天親菩薩様は、「願土」とあらわされます。阿弥陀様の本願によって建立された国です。「願土」のお示しを今私がいただくとき、阿弥陀様のはたらきによって私の願いが育てられていく世界と、浄土の姿を味わってゆく事ができると思います。

例えば、「お金が儲かりたい」などの「~したい」という自分中心の欲望を満たすための願いだけで、生きていくと、むなしい人生を送ってしまうのではないですか?と、浄土の姿を示すことによって阿弥陀如来様は、今、ここで、私の本当の願いを育ててくださいます。

「お浄土に参らせていただく」という「浄土」という国は、浄(きよ)らかな土と書きますが、天国とかあの世とか、亡くなってから先の行き場所をいろいろな名前で言っているのかなと捉えがちになります。

お浄土に参るということは、阿弥陀如来様と同じ悟りを開くこと、すなわち大いなる慈悲を起こしてゆくことです。全ての生きとし生けるもののしあわせを願い具体的にはたらいていくことができる。それがお浄土に参るという世界です。

この世で、煩悩の限界の中で、全ての命の幸せをなかなか願うことのできない私ですが、阿弥陀如来様の願いに照らし出されて私の願いが育てられていくのです。

自分さえよければいいということではないと、育てられてきたときに、具体的に生活の中にいろいろな阿弥陀如来様の光が差し込んできて、新しい明日を迎えていくことができるという、尊い功徳の願い中に今日のお朝じのお育てがあるのです。

阿弥陀如来様の願いを頂戴をさせていただきながらお念仏を申し今日一日、一歩一歩歩まさせていただきましょう。

このように、私は、味わわせて、いただきました。
南無阿弥陀仏

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。