戸塚・善了寺では毎朝「朝のおつとめ」を、本堂で行なっています。
その際に、住職から仏教に関するお話をさせていただいています。
その時のお話を、ご紹介させていただきます。

私どもは、私思議を越えた様々な条件と原因と関わり中で生きています。そ中で怒り、ねたみ、むさぼり心にも出会ってゆきます。

それは、煩悩ウィルスを修行でポイと捨てられるようなもではありません。世間と関わりを切り捨て、山奥に一人入れば、悟りが開けるかと言ったらそんなことはないのです

我が身と関わってゆかねばならない。どんなに、清らかな心でありたいと願っていても、どんなに素晴らしい事をしていると思っていても、凡夫であるという私事実から逃れることはできないのです。

そこに、気づかせてくださるが、なもあみだぶつ。智恵念仏光。関わり中で、苦悩を受け続けてゆかねばなりません。。

そういった私が、今、ここに、本堂に参りをさせていただき、共々に念仏を申す朝事を迎えさせていただくことができるは、私が立派だからではありません。

変わることないあみださまはたらきに、出遇わせていただくことによって、はじめて、参らせていただいているだと、改めて、大事にいただいてまいりたいことです。

私ども苦を自らこととしてうけとめながら、「煩悩に振り回されながら生きる人生は苦悩中にるだけよ。だからこそ、私が、灯火となりてあなた人生を照らします。」と、共に歩んでくださる。

だからこそ、怒ったまま、ねたんだまま、むさぼったままで終わらないのです。

ズーッと怒り狂ったまま、繰り返し続けるは、苦悩です。「我にまかせよ。必ず救うぞ。我にまかせよ。必ず救うぞ」あみださま呼び声が、中に響いて下さる。

朝事も「あみださまご本願なくしては、参りできなかった。先人方々が、浄土から、戻りくださって一緒に勤めくださっている」と、大事に頂戴してゆきましょう。

このように、私は、味あわせていただきました。

「朝のおつとめ」は、365日行なっています。
1日の始まりを、善了寺でのお参りからはじめてみませんか。
どなた様でもお参りいただけます。
どうぞお気軽にお越しください。

文:坊守
※「ぼうもり」と読みます。住職の連れあいです。
鎌倉時代から大切にされてきた言葉なんですよ。
時々つぶやきますので、優しくお付き合いください。