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江戸っ子が大事にしていたのは「粋」という美意識。時代劇や時代小説などでもよく出てくる言葉ですが、実際にはどのような概念だったのでしょうか。今回は、江戸っ子たちが好んだ言葉遊びから垣間見える「粋」について考えてみます。

「すい」と「いき」正解はどっち?

「すい」とも「いき」とも読める「粋」という言葉。実際にはどちらが正解なのでしょうか。

「いき」——すっきりと洗練された美意識

時代劇や時代小説などでよく出てくる「粋だねえ」という言葉。これはほとんどの方が、「いき」という読み方を想像することと思います。身なりがすっきりと洗練されていたり、人情に通じていたりする人や振る舞いを指す言葉で、江戸っ子たちが共通して「格好いい」と感じる美意識です。

「すい」——はんなりとした上方の美意識

これに対して「すい」というのは、上方の美意識のこと。「いき」と同じように「格好いい」という意味を持っていますが、こちらは着こなしや身のこなしが優雅ではんなりしている様子を指すという点で、「いき」とは少し異なる美意識を表しています。

もともとは、この「すい」だけが存在していましたが、江戸時代になって心意気を表す「意気」に「粋」という文字をあて、「いき」という美意識が生まれたとされています。

会話の中に感じられる「粋」の概念

江戸っ子たちが好んだ「粋」を、もっとも感じることができるのが、江戸時代に流行った言葉遊びです。「するめ」は縁起が悪いから「あたりめ」と呼んだことは有名な話ですが、ほかにも次のようなものがありました。

「焼き豆腐の心底」ってどういう意味?

こうした言葉遊びのひとつとして有名なのが、「焼き豆腐の心底」。いきなり聞くと頭の中に疑問符が浮かんでしまう言葉ですが、どういう意味だかお分かりでしょうか。焼き豆腐は、作る過程の中で水の中に沈められたり、火であぶられたりします。こうしたことから「(焼き豆腐になった気持ちで)たとえ火の中、水の中であっても成し遂げる」という、強い意思を表す洒落言葉なのです。

「足袋屋の看板」は恋話を表している?

同じような洒落言葉に「足袋屋の看板」というものがあります。江戸の街で見かける足袋屋の看板は、いつも片方の足袋だけが掲げられていたとか。こうしたことから「片方だけ整っている」、つまり「片思い」のことを指す言葉なのです。

江戸っ子たちが好んだ洒落言葉は、このようにひとひねりして婉曲的に表現されたもの。一度聞いたたけでは何を意味しているのか分からない表現の裏に隠して、真意を伝えるのが粋だったのです。

江戸っ子たちに嫌われた「野暮」

一方で、「粋」の反対言葉として使われ、江戸っ子たちに嫌われていたのが「野暮」。こちらも時代劇などでよく聞かれますが、どのような概念だったのでしょうか。

出雲ではなく目白で秘仏の開帳をした神社がきっかけ

「野暮」は「やぼったい」のように現代でも使われる言葉ですが、その由来となったのは武蔵国にあった「谷保天満宮」でした。江戸時代に、谷保天満宮は目白で秘仏の開帳をしたことがありましたが、それが江戸っ子にとっては「無粋」なものに見えたとか。本来、神様の開帳であれば出雲で行うべきところを、目白なんかで行ってしまったと笑いの種になってしまったのです。その逸話は、狂歌師の大田蜀山人が詠んだ「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 谷保の天神」という川柳にも見てとれ、こうした「無粋」な振る舞いは「野暮」なものとして、江戸っ子たちの嫌われるものとなりました。

江戸文化の美意識を表す「粋」

江戸っ子に共通する感覚である「粋」を大切にしながら、独自の美意識を作り上げてきた江戸時代の人々。そんな彼らに学び、時には「粋」なコミュニケーションを実践してみるのもいいかもしれませんね。

参考:

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