電気もガスもなかった江戸時代。さぞ不便だったに違いない、と思いきや、意外とそれほどでもなかったようです。拡大する江戸の人口を支えていたエネルギー源は、当時はまだ緑濃い、武蔵野の豊かな雑木林。ここから供給される薪や炭のおかげで、日々の暮らしに事欠くことはありませんでした。

武蔵野の雑木林が支えた江戸の暮らし

江戸時代の燃料といえば炭です。江戸市中には十分な材木がなかったため、供給源として西部近郊、今の国分寺や八王子あたりの農家に頼っていました。

江戸中期に人口が増えるとともに炭の需要も増加。もともと炭焼きは農閑期の農家の仕事でしたが、もはや副業ではなく、専業で多くの人が働く大規模な炭焼き場も生まれ、大量の炭が盛んにつくられるようになりました。江戸時代後期に刊行された「江戸名所図会」にも、炭焼きの様子が描かれています。

炭は高価なため、主には江戸城内や大名屋敷で使われていました。一般庶民はもっぱら薪を利用していましたが、薪も武蔵野台地から運ばれていました。国木田独歩が『武蔵野』(1898年)でその風景美を取り上げている、武蔵野の雑木林が江戸の燃料の供給源だったのです。

寒い冬でも炭火の暖房でへっちゃら!

庶民の生活のなかで、燃料を多く使う場面といえば炊事と暖房です。煮炊きで活躍したかまどは「へっつい」とも呼ばれ、粘土や漆喰でつくられていました。鍋用と米炊き釜用の2つ穴がある場合もあれば、1つ穴のかまどもあり、家族構成によって使い分けられていました。現代の2口コンロや1口コンロのようです。

暖房には火鉢が活躍していました。今の感覚からすると炭火だけの暖房は心もとない気もしますが、江戸っ子にはそれが当たり前。火鉢は暖を取るばかりでなく、お湯をわかしたりお餅を焼いたりできる点でも重宝されていました。

裕福な家ではこたつも使われていましたが、こちらも燃料は石炭です。木枠のやぐらの中に火鉢を置き、上から布をかけて使っていました。熱源こそ大きく違いますが、見かけは意外と今と変わりなかったようですね。

手間をかけてこそ得られる現代の癒やし

とくに都市部の場合、今や煮炊きや暖房に炭や薪を使う家庭はほとんどないでしょう。しかし、ほんの30〜40年前まで、多くの家庭に火鉢がありました。育った地域によっては記憶にある人もいるかもしれません。そうでなくても、古道具屋など火鉢を見かけて郷愁を覚えた経験もあるのでは?

炭火を眺めていると、不思議と心が穏やかになるものです。料理は炭火焼きがおいしいといわれますが、癒やし効果も十分。ろうそくの炎には、心を落ち着かせる「1/fのゆらぎ」がありますが、赤々と燃える炭火にも似たような効果があるのかもしれません。

火鉢を使うには火起こしなどの手間が少しかかります。電気やガス器具のように、ワンタッチでスイッチオンというわけにはいきませんが、手間が増える分だけ、暮らしと丁寧に向き合えるとも言えるでしょう。

炭火が醸すスローな時間

江戸時代の燃料は薪と炭が中心。炊事も暖房も武蔵野の雑木林から得られる薪と炭でまかなっていました。電気やガスの暮らしは確かに便利ですが、ちょっと風情には欠けるかもしれません。ワンタッチのお手軽さをすべて手放すことはできなくても、暮らしの中に少しだけ炭火を取り入れるのはどうでしょうか? マンションでも安全に使える火鉢や囲炉裏セットが出回っています。思いのほか、スローな時間を楽しめるかもしれません。

参考:

  • 『図説江戸(7)江戸の仕事づくし』竹内誠監修、学研