江戸時代、日本は世界でも有数の識字率を誇っていたといいます。武士のような上流階級はもちろんのこと、貧しい庶民でさえ文字が読める国は、当時はあまりありませんでした。その高い教育レベルを支えたのが寺子屋です。いったいどんな仕組みで、どんな様子だったのでしょうか。

江戸の活気の源は寺子屋にあり

江戸時代、庶民の教育機関といえば寺子屋です。もともと、お寺でお坊さんが子どもたちに読み書きを教え、その子どもたちが「寺子」と呼ばれたていたのが「寺子屋」のいわれだとか。当時から庶民の識字率が高かったのも寺子屋のおかげです。その教育レベルがあったからこそ、さまざまな商売が盛んになり、活気あふれる時代になったのかもしれません。

寺子屋の先生は手習(てならい)師匠と呼ばれていました。幕臣から医者、書家や僧侶に町人まで、さまざまな身分の師匠が数多くいました。江戸中期ごろには、800人もの師匠がいたそうです。本職としている人もあれば、パートタイマーの手習い師匠もあり、寺子屋は子どもたちにとって学びの場であると同時に、大人によっては教える機会を得られる場所でした。

一芸に秀でた女性は大奥に入るチャンスも!?

寺子屋に通い始める年齢は概ね6〜7歳で、その後3〜5年間、「読み書きそろばん」を習います。とくに男の子は、10歳を過ぎるころには奉公に出ることが多かったため、今の子どもより就学期間がはるかに短かったのです。もちろん学童期の子どもといえども、家業を手伝っていることも多く、家庭の都合で午前中は寺子屋に行って午後は働いている子も多くいました。

また、女の子の場合、寺子屋だけでなく、琴や三味線などの稽古事に通う子どももいました。当時、若い女性に人気の職業は大奥での奉公でしたが、そのためには芸事の一つもできなければなりません。たとえ下働きであっても、大奥で奉公していたとなれば、町人の子女にも豪商や武家に嫁ぐチャンスが巡ってきたそうです。

ネットの向こうの「師匠」に会いに行こう!

当時、寺子屋での就学期を終えると、儒学などを学ぶ必要のある武士の子弟以外、「学校」に行くことはほとんどありません。ましてや大人になってから、悠長に何かを学び直す機会などなかったでしょう。

それにひきかえ、今は勉強の機会に事欠きません。子どもたちは小学生のうちから塾通いをして、大学まで進む人が半数以上に上ります。それでも、いったん学校を出ると、「学ぶ」という習慣からすっかり遠ざかってしまう人が多いのではないでしょうか。

でも、ちょっと探してみると、「大人の寺子屋」などと銘打った教養講座や、大学が社会人向けに開講している講座などが多数あります。また、何より今はインターネット時代ですから、家から一歩も出ることなく、あらゆる分野の経験豊富な「師匠」に出会えます。

今は江戸時代よりずっと寿命も伸び、変化に富んだ世の中です。こんなにたくさんの機会に恵まれているのに、20歳前後までの勉強で終わらせてしまっては、もったいないと思いませんか。

自由な学びが豊かな人生をつくる

多くの江戸庶民が「読み書きそろばん」ができたのは寺子屋があったからこそ。庶民に一定以上の教育レベルがあったことが、江戸の活気を支えていたと言えそうです。今は当時に比べ、段違いに学びの機会が豊富にあります。とうの昔に学校を卒業した大人も、何か新しいことを学んでみてはどうでしょう? まだまだ先の長い人生、ぜひ新たな分野に挑戦して、より豊かに過ごしたいものです。