旅行が趣味という人は多いと思いますが、実は江戸の庶民も大の旅行好き。戦国の世が過ぎ、平和な時代になったからこそ、庶民が旅をする余裕があったのでしょう。いったいどんな旅をしていたのか、当時の旅の様子を見てみましょう。

毎日8時間も歩きっぱなし⁉

江戸の交通手段といえば徒歩です。当時は車や電車などありませんし、大名と違って、庶民は駕籠(かご)などに乗れるはずもありません。旅といえば歩くしかありませんでした。

たとえば江戸の日本橋から京都まで、およそ500キロの東海道の旅を、徒歩では何日かかったでしょうか? 当時は平均14泊15日かけて歩いたそうですから、毎日33キロ以上になります。時速4キロとしても8時間以上。今の感覚だと、毎日の仕事時間をずっと歩いていたことになります。

何日も歩いて旅するなんて、まるで苦行のように思うかもしれませんが、江戸の庶民にとっては、それが当たり前。旅行という非日常を楽しむのに忙しくて、疲れなど感じなかったのかもしれません。

誰もが伊勢参りができたわけ

旅行先としてとくに人気だったのが伊勢参りです。伊勢神宮といえば20年に一度の遷宮が今も大人気。当時も、1830年の遷宮のときには、日本中の実に6人に1人が伊勢を目指したという説もあるそうです。

伊勢参りをするような余裕がある人がそんなにいたの? と思うかもしれません。貧しい人には無銭旅行という手がありました。背中にむしろを背負い、手にはひしゃくを持つのが貧乏旅行者の定番スタイル。宿を取らずに橋や寺社の床下などに寝る場合も、むしろを敷けば多少は寝心地がよくなります。ひしゃくは沿道の人々から無料の施しを受ける際に使われたそう。

伊勢参りの沿道には、お米とか一夜の宿など、旅人に提供できるものを紙に書いて張り出してある家や店もありました。そうした分かち合いの習慣が根強かったこともあり、お金に余裕がない人も、伊勢参りを楽しむことができたのです。

ときには、そんなに急いでどこへ行く?

現代の旅行スタイルを考えてみましょう。さすがに全行程を歩く旅は時間も体力もたいへん! でも、新幹線で行けるところをあえてフェリーにするとか、車の旅なら高速道路を使う代わりに細い旧道を走ってみるとか、ほんの少しスローダウンしてみてはどうでしょう?

かつて1970年代に、「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」という標語が大流行したことを覚えている方もあるでしょう。当時は交通安全を目指したスローガンでしたが、旅を豊かにする手段として、思い起こしてもいいかもしれません。ゆっくりと進むことで、急いでいては見えない景色に出会えることもあるはずです。

5つ星ホテルでは体験できない出会いも

お金をかけた分だけ旅が楽しくなるとは限りません。たとえば宿泊施設。ゴージャスなホテルもステキですが、近ごろ急増しているゲストハウスを利用するのはどうでしょうか。ユースホステルのおしゃれな現代版といった趣で、世界各国からの旅人が集まっていることが多いのが特徴です。キッチンやリビングなど共有スペースが充実しているため、日ごろは出会わないようなバックグランドの人と言葉を交わすきっかけにもなります。

急がずあわてず豊かな旅を

今に通じる江戸庶民の旅行好き。電車も車もなく、さらにはお金の余裕もないとなると、さぞ辛い旅だったのでは? と思いきや、そうでもありません。お金がなくても、道中の人々からの施しで、想像以上に楽しい旅をしていたようです。今の私たちも、むやみに急がず、必要以上に贅沢をしないほうが、かえって豊かな旅ができるのかもしれません。

 

参考:

  • 『江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界』石川英輔著、講談社