3月8日、毎月恒例の定例会法話会がありました。毎年、東日本大震災追悼法要としてお勤めしています。

この状況の中で、今年も追悼法要をお勤めできたことは、住職として本当に有難かったです。

今年は、阪神淡路大震災から25年、東日本大震災から9年の年にあたります。御法要の表白を胸に刻みながらおつとめさせて頂きました。

感染症対策として規模を縮小して、ご案内しておりました。それでも、門徒総代さんはじめ10名のみなさまがお参りくださいました。

お参りしたくても参れない思いを抱えたご門徒皆さまが多くおられたことと存じます。どうぞ、お身体を御自愛ください。

ご自身の御身をご自愛頂くことは、他の人のいのちも粗末にしないことです。

お互いの身体は、お念仏を頂く法器(ほうき)であり、お念仏の道場です。

お参りされた方もできなかった方も共々に、お念仏の大慈悲を頂く御同行、かけがえのない同朋です。

お念仏は、時と場所、状況を選ばれません。どうか、お参りできなくても一人でお念仏していると思わないでください。

こういう時だからこそ、生死を超えてお念仏の同朋が一緒です。お念仏申しましょう。

この3月、毎朝のお勤め(お朝事)はじめお寺でお勤めするご法要は、しっかりとお勤めいたします。

その為にお寺に住まわせて頂いているのですから。どうぞご安心ください。

そして、一日も早くみなさまとご一緒に声高らかにお正信偈を頂ける日が来るために、力をあわせてまいりましょう。

 

最後に本日の法要の表白を掲載します。震災当初、東京教区の追悼法要で使われた表白をアレンジしたものです。

未だに、この表白に込められたメッセージが色あせない状況に愕然とします。そして、あらためて、皆さんと一緒に

一歩踏み出していきたいと思います。是非お読みください。

 

表 白 
敬って阿弥陀如来の御前に申しあげます。
本日 善了寺の本堂において
みほとけの御前を荘厳し、たくさんの縁ある方々とともに、

東日本大震災により亡くなった方々の追悼
及びただいま困難の最中にある方々に思いを寄せる法要を勤修いたします。
私たちの予想を超えた自然の猛威により、
多くのいのちと生活が失われ、
今も傷つけられつつあることを
深い痛みをもってここに胸に刻みます。
また、文明の粋を集めた発電施設の制御がかなわず、
更なる深刻な災害が生まれるおそれの最中にあることを
悲しみとともに受けとめます。

今、みほとけの前に灯された灯りは、
私の小ささとはかなさと愚かさを照らしだし、
同時に、
私たちにあらゆるいのちと共に生きる世界をひらき、
自己中心の生き方を超えていく道を照らし出しています。

私たちは一人一人が、あらゆるいのちの
歴史と現在に責任を負っています。
私たちがひとの苦悩と苦難と悲嘆に心を寄せ、
世の安穏を自らの願いとする時、
私たちをつなげる、いのちの絆に気づかされます。
このつながりの中で、私たちが、何を願い、
いかに日々を過ごすべきか。
この問いを真摯に受けとめ、本日、新たな一歩を踏みだします。

真実を照らし、すべてのいのちを慈しむ
願いを成就された阿弥陀如来の御前に、
浄土真宗本願寺派 善了寺 住職 法名 釈 智信
謹んで申し上げます。